書き遺して逝ってくれてありがとう
2018年 02月 10日
もっと若いうちに謙虚に向き合うべき人だったと思う。
今でも謙虚になれないのだからないものねだりではあるけれど。
どうせ直接会うような間柄ではないのだから、謙虚になって本を繰り返して読むことにしよう。
うまい料理のことをいろいろ教えてくれて、あちこち連れまわしてくれた小山恵子さんが旧臘亡くなっていたことを知った。
舌が凄くて、名だたるシエフたちが一目も二目も置いていた。
「四季の味」の連載など書いたものも遺っているが、僕はそれよりも彼女の笑い声とか料理に対する情熱に惹かれていた。
晩年も料理の勉強会になんどかお誘いがあったけれど、今や「はじめ」で呑むばかりの隠居としては、気がさしてお断りをつづけて最後にあったのはブログを調べると、もう2年以上も前だった。
あれからの二年間に苦しいこともあったのだろう。
お世話になりながら知らん顔していてごめんね。
天国のご飯を改革してください。
あ、僕用に地獄のほうにも出張して、ね。
祖母や母も歌を遺してくれた。
祖母の歌から。
富の差が窓のふとんに判るといふ団地のくらしうるさかるらむ窓に布団を干す団地の中の貧富の差。
そうだね、似た者同士こそ嫉妬心も強いかな。
ささやかなお土産でも必ず近所におすそ分けをしていたお祖母ちゃん、1%対99%のことを聞いたらどんな顔をするだろう。
椋裸木露伴旧居の遺木かなアルマーニの服を小学生に着せるというニュースに接して、母が親戚のお兄さんから貰った服を仕立て直してセーラー服にしてくれた、だから田舎の小学校としては「カッコイイ」一年生、嬉しかったこと。
高校のときはやはりお古のオーバーを半コートに直してくれて、もうその頃はあまり嬉しくはなかったこと(お古を着る人がいなくなった)などを思い出した。
小学生の頃、母は時々私に兄たちの洋服を同級生の xx君のお母さんにと言ってその袋を託しました
その子は 夏と冬のシャツは兼用で 冬になると 切った袖を縫い付けたシャツを着ていましたし、お兄さんもいたので、私は子ども心にその子とお兄ちゃんに上げたいのだなと思っていました。
私は兄たちのお古の洋服を託した母よりも それをきちんと受け取ってくれていたその子のお母さんを立派だったと思います
そして 時々思い出すのはそういう子で その子の子供達は そう言う縫い付けた袖のあるシャツを着ないで済む暮らしをして、幸せになっててほしいなあと思います
経済的に豊かであるという事は人に自慢することではないと思うのです。
それを平気でやると言う事は 非常に下品な事であると思っています。
それなのに今はそれが人間の価値を測る大きな尺度になっている
もうその時点で 文化度と言うか、人間度低くなったなあと思うのです。
そこには 愛おしむ哀しさの棲む場所がありません。
アルマーニに限らず、もともと制服なんて要らないのではないかと思います。歴史のある銀座ブランドの小学校だとか何とか言っているようですが、森友学園=瑞穂の国記念小学院と通ずるところがありますね。
まして子供にそう言う考え方を植え付けるなんざ、江戸っ子の風上にも置けねえ、何が銀座らしくだってのか!
恥ずかしながら石牟礼さんの著作は全く読んだことがありません。
ただ、昨年亡くなられた林京子さん同様、いろいろな「賞」を辞退していたことに感銘を受けています。
今日の新聞に執筆中の横顔の写真が掲載されていましたが、とてもいい顔をしていました。
いづれ詩文集を読んでみたいと思います。
何というか、アルマーニなどよりも、おさがり、お古というものの方が言葉の正確な意味で「豊か」であると感じます。なぜならそれには「ひとの温もりが宿っているから」
佐平次さんは「居残り佐平次」でしたか。川島雄三監督、フランキー堺主演の映画は確かフィルムセンターで見ました。いつくかの噺「品川心中」などが合わさった話しでしたね。山中貞夫の「人情紙風船」も幾つかの落語の噺があったと憶えています。
よい日曜日をお過ごしください。
P.S.
アーカイブ、少しづつ拝見していきます。
拙ブログでも紹介しました。http://pinhukuro.exblog.jp/26215701/
野暮ですよ、ったく。