今年も小三治が聴かれて幸せ 新春国立名人会7日
2018年 01月 08日
早くついて、永田町駅構内のカフエでサンドイッチをつまむ。
14列が一番後ろ、その通路寄りに並んで座る席、足を伸ばせてありがたい。
太神楽曲芸協会・寿獅子を楽しんで
花緑「謎のビットコイン」
「やかん」かと思ったら新作、隠居が「ビットコイン」を「ビットコ・イン」というホテルだとか、ビットコとはヒョットコの兄弟だとかいう。
ダーク広和・奇術
蒸篭を使った江戸時代から続いているという紐の奇術、袴姿にしては地味な奇術なのが惜しい。
どこが凄い・不思議なのかをなんども見せる。
伝統の承継ということだろう。
楽しい噺なのだが、豊竹屋の義太夫が少し普通の喋りに流れた。
素人の義太夫モドキ、うまい下手でなくいかにも義太夫語りだという感じが出ないと面白みが減る。
にゃん子・金魚・漫才
ヒャッキンで揃えたというハデ派手な頭飾りはお約束、そのあとのにゃん子は男、後期高齢者の金魚のチンパンジーが飛んだり跳ねたり客がさしいれたバナナを食ってみせるのもお約束。
お約束どおりが楽しいお正月の寄席だ。
林家一門の正月風景などを紹介しつつ、柳家一門の隆盛にちと触れる。
そういえば今日は先代小さんの息子と孫と頭領弟子が勢ぞろいなのだ。
主人公の、鏡を見たことのない・親孝行で無欲・朴訥な男は正蔵のニンかもしれない。
お奉行に親孝行の褒美に金は要らないか、と訊かれ「金なんかもらうと加計になっちゃう」と言ったのは、余計かもしれない。
小三治が相撲取りの噺をしてタカハナダのタにも触れなかったのをヨシとしたい。
雲助「身投げや」
金語楼がやった噺(談志の「夢の寄席」で知った)を、今日この場で聴かれたのはラッキーだった。
両国橋で身投げをする振りをして止めに入った人から金を恵ませる。
百両貰ってホクホクしていたら、子連れの盲人が飛び込もうとするので百両恵んでしまうが、その親子も狂言だったという噺。
雲助が話すと登場人物が生き生きと動き出す。
「文七元結」より滑稽でちょっといい噺だ。
小さん「親子酒」
「一本だけつけてくれ」という旦那に「一本では済まないんだから」、「私は(息子と違って)先が短いんだから、私とお前の付き合いは息子との付き合いより長いんだから(呑ませろ)」、まあ、ぼくを見ているような塩梅、酒飲みは困ったもんですなあ、ご同役。
味があった小さん。
正楽・紙切り
「羽根付き」「出初式」(苦労していた)「富士山」「獅子舞」「銭湯に入る犬」
小三治「千早ふる」
知ってるのに知らないふりをするのは知らないのに知ってるふりをするより悪い、といういつものマクラで、「記憶にございません」なんて言葉を市井の人がふつうに使うだろうか、大勢の前でよくあんな言葉を使うもんだ。
こういうマクラでの時世批判は、ネタの中で使うのと違って噺の流れ・味わいを壊さないからいいのだ。
隠居と八五郎のやり取りの間の良さ、しつこく食い下がるはっつあんに「うるさいね!」と癇癪を起す、その一言で噴出してしまう。
何もおかしなことを言わなくても可笑しい。
何十回と聴いた噺が初めて聴くように面白い。
ちょっと気になったのは花緑の噺と、「知ったかぶりの年寄りとの浮世根問い的問答」という点でツキはしないか、ということ。
正月だから大らかにいきますか。
帰りに初カラオケ、誰もいない店に、ぼくと同年齢のマスターがソフアに横になっていた。
白石で「検査結果がまもなくわかる」と聴いていたので、とても気になった。
若いカップルが入ってきたこともあり、有花政宗が効いてきたこともあり、マスターのことが気になったこともあり、「青春時代」「こいさんのラブコール」二曲だけで帰った。
>話すと登場人物が生き生きと
うまい落語家の本領ですね。雲助畏るべし。
「おめでとうございます、って芸人がみんな言いますが、心から言っているのは私だけ」(文楽)「ケチっていうのは自分ちのがあるのに他家に金槌を借りる、向かいのうなぎ屋の匂いで飯をくう」(金馬)「貴婦人と豚の主従の取り違え」(小袁治)「看板に「亀のエサ100円」って書いてあるから」「鶴じゃなくて鷺(詐欺)だ」(白鳥)
定番なんですが、そこを大口開けて(笑)おや、白鳥は正月なので「鶴」「亀」を出して寿いだのかも・・・さすれば白鳥もまた畏るべし、です。
ブレンド純米酒、銘柄を見るだけで涎が出そうになります。
紙切れといえば、銭湯に入る犬もどんなのか気になります。