うからの平穏を祈る
2018年 01月 04日
大晦日に会えなかった(僕の風邪で)長男一家からはユイも参加、お年玉やら何人かのたまっていた誕生祝やらいろいろあげて、なんと僕もカシミヤのセーターやマフラーを貰ったり、ありがたいことだった。
その上、クラウンラムや手巻き寿司などはいつもはあちゃんのパパが買い出しから料理までやってくれる。
笑いが絶えず、孫たちの旺盛な食欲に度肝を抜かれ、彼らの「学校批判」などにも共感する。
嫌いな先生だと、その教える科目も嫌いになる。
だけど、先生のために勉強するんじゃなくて自分の人生のために勉強するんだよ、なんちゃって爺さん。
それにしても、今の学校の教える程度の高いこと!昔の高校生でよかったと思う。
それで思い出したけれど、新婚旅行にも親父のお古のズボンを穿いて行ったっけ。
感謝の気持ちをこめて、祖母の歌から。
いささかの欲しき物なぞ求め得て喜ぶ児らを想ふ愉しさ「京城へお金を送りて」という前書きがある。
あて先は新婚間もない我が両親、「喜ぶ児」とは僕のこと、生まれたばかりだったから、おばあちゃんに貰ったということは分らなかったけれど。
この歌を作ったお祖母ちゃんは、今の僕よりちょっと若かった。
母の句。
念頭にうからの平穏福詣り前にも載せた句だが、この気持ちが全くだ!と思う気持がますます強くなった。
この句作の亡母と同い年に近づいたなあ。
海鼠・・・・私は食わず嫌いです。
食べようと思えば割りといつでも手に入るのに・・・。
>ぼくもよく食ったが、孫たちは小鉢を抱えるようにして貪っていた
そんなに美味しいの?
私も挑戦してみようかな。
賑やかなお正月になったご様子、私まで嬉しいです。
>いささかの欲しき物なぞ求め得て喜ぶ児らを想ふ愉しさ
>念頭にうからの平穏福詣り
いつもながらsaheiziさんにつながるお二人の
凛とした中に穏やかな優しさがあふれる作品に魅せられます。
もしかして「念」は「年」なのでは…などとも思いますが…
どちらもありのような気もするわたくしです(^^;
楽しい宴 皆さんの愉快なおしゃべりやお料理の匂いまで伝わって来そうです
本当に母や祖母の年に近づくにつれて、あの時本当は きっとこう思ってたのだろうなあと思う事が多くなります
若いという事は気楽でもあり、でも残酷でもあるなあと思ったりします
お祖母さんの歌も お母さんの歌も 心に沁みます
なんだか昔の人の方が今の人々よりはるかに優れていたような気がします
そして
やっぱりsaheiziさんを産んで育てた方達だなあと感心します
福詣りが初詣のことでしょうが(私の持ってる辞書では確認できないのですが)、そうすると年頭ではダブってしまうということでしょうか。
家族が集うという事はまたことのほかしみじみとした幸福感が有りますね。さへいじさんご一家の今年の御多幸をお祈りしています。
料理人がいると珍しいものを食べれていいですね。私も来年からは、お重1人1つの分担にしたいです。
ほんとだ、ダブってしまうじゃないですか(^^;
手元の『日本大歳時記』の「新年・行事」の季語「七福神詣」に「福詣」併記されており、
<正月七日までに、その年の開運を祈らんと七福神を祀る社寺を巡拝することを言う>とありました。
失礼しました(恥ずかし)(^^;;;;;
一人は美味ないゎ、
お母さんの句、いいですね。
その通りです。
なまこ、お孫ちゃん達も好物だったら足りませんでしたね。
奥さまと二人だと、小でいいかな?と^^;
次回は大にします。
お茶漬けがおいしいと私は思うのです^^。
でもみんなたっぷり食べましたよ。
お茶漬けなんて贅沢なことはようしません。