今が一番
2017年 10月 15日
最初は右の壁を前にしたカウンターにと思ったが、奥のトイレを借りるのに靴を脱いだのでそのまま、小上りで一つしかない小さなテーブルを前にして坐った。
一人客が店主に背中をみられて坐っているのってちょっと落ち着かないような気がしたのだ。
馴染みになったら左側の二人用のテーブルを前にして店主と雑談するのもいいのかもしれないが。
エチオペアというのを頼んで、本棚から暮しの手帖(現代版)を引っ張り出す。
高校の修学旅行で、京都の四条を歩いて入った喫茶店。
それが、覚えている最初の喫茶店経験、長野では禁じられてはいないけれど、ああいうところは小遣いに困らない不良が煙草を吸ったりよからぬ話題に興じるところという感じがあって入りたい気持ちもありながら入れなかった(番長グループとは親しくしてはいたけれど)。
旅先のアバンチュール、一人で入った。
制服のように着込んだ白っぽいダスターコート、下は学生服、修学旅行に間に合うように長髪にしたけれど、白線の入った学生帽を脱がなかったような気がする。
もうもうたる煙、流れてきた曲はカーメン・キャバレロの「愛情物語」。
曲の名前を店の人に訊くだけでいっぱしの冒険をした気になった記憶がある。
カーメン・キャバレロ、口の中で言ってみて、なんだかカッコイイなと思った。
あの日は、この喫茶店経験で度胸をつけて、そのあと、お座敷レストランに入ってすき焼きを食ったのだった。
この日のためにためておいた小遣いを清水の舞台から飛び降りる決心で消尽したのだ。
酒も煙草もやらなかったけれど。
あれから57年、今東京の誰もいない喫茶店で暮しの手帖をめくりながら過ごすことになるとは。
小林聡子の出てくる映画のような店の雰囲気がそうするのか、ちょっと夢のなかにいるような不思議な感覚に囚われた。
これからの人生で、どれだけの喫茶店に入ることになるだろうか。
今までのように「用もないのに、酒も飲まないのに、茶を飲むだけのために金を遣うなんて、もったいない」などと言わずにお金を遣ってみよう。
緑の狸とツーショットを撮るために3万円も払うことを想えば毎週一回うまいコーヒーが飲める。
「佐平次さん!生ガキがあるよ~」と迎えてくれる。
雨も降っていたけれど、ヨソイキのジャケットを着て出かけた。
もう、フダンもヨソイキもない、いつも気に入った服を着て気に入ったところに行くのだ。
いつも今がイチバンで生きるのだ。
これって 喫茶店にピッタリですね
仰られる通りですね 今が一番
今を一番にして行かなくちゃーね
つい 取り越し苦労が多いので
心地よいBGMとともに あれ?リカルド サントス?
懐かしいなーウキウキしてきます
居酒屋も我が家で二人分の食材をそろえるより割安な感じがします(手間ヒマのことは当然として)。
あれ、またケチケチの本音が出てしまいました^^。
洋服しかり、食器も割れてもいいやで気に入っている良いものを。情けないことに5枚揃っているのが殆ど無くなりました。良く割る人が洗うのが多いので余計です。
喫茶店は一人では行きません。無粋な事にコーヒーがだめで紅茶なのです。結構恰好がつかないのですね。
苦労して生んで育ててくれた人(親)のことを思うと自分の命は粗末にできないと悟ったりしています。
アハハ、笑わせていただきました (^▽^)
いつも今がイチバンで生きるのだ。
ほんと、そうですね。
楽しい事しましょう♪
ここに入りたい喫茶店が無くて残念。
本が読める喫茶店(カフェでない)があったらなと思います。
アウトレイジ、観たいと思ってても映画館も無いし^^;