助かった
2017年 10月 13日
現今の政治状況についてもすこぶるナイーヴなコメントに終始、深入りすると熱くなるから、それでいいのだが、ちょっと暢気すぎる感じも。
隣りに座った友人がこっそりと僕だけに奥さんの病気が深刻なことをささやく。
「君は家事をなんでもやるけれど、俺は何もできないから参っている」と冗談交じりだが、家事なんかより心が参っていることは、分かりすぎるほどよくわかる。
母の死と自分の病気の心配のダブルパンチに夜もろくろく眠れない(僕も)日々だった。
寿司を食い熱燗を呑んでもイマイチ気持ちがほどけなかった。
それが、朝早くから一緒に病院に行き、CTなどの検査をしたところ異常なしとの結果。
夢かと思うほど嬉しい。
母が守ってくれた、と、そうだけど俺だって祈ってたぜ。
いつもついてくれる看護師さんが、自分のことのように小さくガッツポーズをして喜んでくれるのをみて、思わず抱きしめたくなったほど(先生の手前自制)。
奥様も佐平次さんもどんなにほっとされたかと思います。
ご心配だったでしょう。
なんでもない日常が送れるのって、きっと奇跡なんですね。
何だか肩の荷が落ちたような感じです。
東京駅というのは創建以来、ほとんどいつもどっかを工事中だそうで、我々の人生も何もないという時期はごくまれなんですね。
そんなことを言うと義母には悪いけれど。
でもその義母も大往生で逝くことができたのは幸運だったのかもしれない。
心から、よかった。。。
前歴のある人は、絶えず不安の中にいて、奥様の確信は必ずしもネガティブということではなく、折れそうになる自分を奮い立たせるための確信だと思います。ひとつずつ関門を潜り抜けることを願っています。絶対大丈夫だよ。わたしもこんなですからね。
何気ない日常のありがたさを思います。