きのう
2017年 10月 10日
本を読んでいると、ときどきたまりかねたように走ってきて何か訴えるような目つきで尻尾を振る。
おいで、というとぴょんと飛び上がってむしゃぶりついて顔をなめる。
夕方になると外の音に耳を澄ませているのか、ちょっとした気配で窓際にきて外を見たり、じっと玄関で戸の開くのを立って待っている。
それを見ているとなかなかひとりで散歩には出にくい。
入れ替わりで散歩に出るともう日が落ちていく。
寿司屋の女将さんと出会ったら(ときどき出会うのだ)、どうしようと思ったが会わなかった。
夜は、義母の写真をもっと飾りたいというので、ありったけの小さな額を動員して、この写真がいいね、などとやる。
お義母様もきっとお喜びになっておられます
なんだか温かくて自分もこんなにしてもらえたら
幸せだなーって思います
形はどうあれ優しさいっぱいのお見送りが一番ですね
逐一 書いてくださってるので、なんだか一緒に準備をしているかのような気分になっています
ふんわりとした空気を醸し出すやさしいお義母様のお人柄そのままの心のこもった暖かい式になること間違いないですね
自分で祭壇を、と言うのも すごく素敵
お義母様 お喜びでしょうね
式場の隅でニコニコそんな奥様を眺めているお義母様の姿が目に見えるようです
死ぬのはいなくなってしまうのではなく、ただあっちの世界にお引越しするだけですから、私は母の生前は帰国のたびに朝方までおしゃべりしていましたが、今は生前よりも 深い思いで交信しているような気がしています
いずれにしても いらっしゃり続ける事に変わりはないのです
お葬式は私たち 残されたものが心の中で区切りをつけるものであると思っています
だから行ってらっしゃいの儀式かな? と
こちらから思いを馳せています
そしてお義母様にはあっちまで良い旅をと、、。
あ、でも49日終わるまではこちらにいらっしゃるんですよね
それでは とりあえず お疲れ様でした。と
肉体を持って生きることは大変なことなのです
お疲れが出ませんように、、。
義母様のご葬儀、それに寄せる奥さまやsaheiziさんの思い・・上記のcocomeritaさんの書かれた事・・・そのとおりだなぁと思います。どうか、お忙しい中、ご無理をなさって御身体をこわされませんようにいたわってくださいね。
シェリーちゃんもそうだったのでしょうね。
ごめんなさいね、こんなこと書いて。
いいお通夜だったと思います、ちょっと酔っぱらいましたが。
奥さん共々に十分な休養を取ってください。
今日は葬儀ですね。
人の死は、避けられないものとはいえ、その時その時の哀しみは忘れられません。
いつか、自分自身にもやって来ます。
私らは、教会で葬儀を行ってもらおうと、いろんなことを考えています。
故人の好きな讃美歌は?祭壇の花はこれとか。
墓所も決めています。
でも、わが息子の時もそうでしたが、死は突然やって来ます。
必ず、あたふたします。少しでも、混乱のなきようにと思っていても、人間の考えることなんて、超越したところに「神」の考えは存在しています。
とにかく、死を考えることは、今を真面目に生きることと大きく繋がっていると思います。
saheiziさんは、サンチといつものごとく、季節の変化を楽しみながら、歩いて下さい。
天上の義母上様が見守っておられると思います。
ご冥福をお祈りしております。
>死を考えることは、今を真面目に生きることと大きく繋がっている
お通夜で導師も無常を考えることは今やることを先送りにしないことだとお諭しくださいました。
いい葬儀ができました。
生きていても逢わず、その人のことを考えることも少ない場合がよくあります。
亡母や亡妻のことは亡くなってから日増しに深く考えるようになりました。
ゆるゆる、お願いします。
あの日に亡くなったのでした。