日常のありがたさ

10日のお通夜まで一休み、とはいえカミさんは義母の化粧の用意とかいくつかあってバスで、ぼくも洋服の直しを受け取るために歩いて、二子玉川へ。
最初はふらつく恐れのあるカミさんのエスコートで行くつもりが、大丈夫だとがんばるし、こんないい天気に歩かないのはもったいないので、分裂行進。
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玄関わきの金木犀がいってらっしゃい。
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怒涛の日々には見落としていた変化を楽しみながら歩いた。
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紀伊国屋書店で待ち合わせをしている間に目についた本を、これも縁かいなと買ってしまう。
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地下のF&Fとか明治屋などで食材を買い、「たねや」で義母の好きだった栗菓子をお供え用に買う。
遠くからきてくれる子供たちにも、小さなお土産を。
帰りは荷物をもってバスで一緒に帰宅。
家に入ろうとすると、深沢神社の祭り囃子が聞こえる。
そうだ、サンチを連れて行ってやろう。
小さな病気と夏の暑さのためにずっと散歩をしてなかったのだ。
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ああ、これが外だ、外の臭いだ、あっちで止まりこっちでオシッコをして、ドンドン歩くかと思うと、また止まる。
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境内はワンちゃん禁止なので、鳥居の外から遥拝。
日常っていいものだ。
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しきりに思い出す歌。

Commented at 2017-10-09 11:34
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by PochiPochi-2-s at 2017-10-09 13:41
言いたいことがたくさんあるのに、何も言えなくて…
自分の非日常とは関係なく回っている他の日常。
ふっと心が癒されますね。
一日も早く元の日常に戻られますように。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-09 14:49
> 鍵コメさん、そりゃあ、素晴らしい。
さぞかし楽しかったでしょう。
浄瑠璃寺の紅葉もそろそろでしょうか。
義母をつれていったのは吉野から当麻寺でした。
Commented by at 2017-10-09 14:51 x
日常のありがたさ、
そぉなんですけど、直ぐ忘れてしまう。
あかん和多志です。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-09 14:52
> PochiPochi-2-sさん、自覚的にそうしないといけないとカミさんにいうのですが(今はまあ無理ですね)、
それでも、わずかに感じられる日常を手放さないようにしてくれと。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-09 14:54
蛸さん、押し流されないよう・埋没しないように日常という武器を手に取るのです。
日常はしたたかです。
Commented by cocomerita at 2017-10-09 15:11
Ciao saheiziさん
母を見送った時も 父を見送った時も 空気やお日様の光や 風やそう言う今まで普通に眺めていたものが その様を変えている、
輝きが増していると言うか、やさしいと言うか、そう言う気持ちになりました
母といつも話していた一期一会をさらに見に染みてもっと一期一会を徹底しなきゃと思い始めたのも この頃です
どんなに仲良く、どんなに沢山の時を重ねても これでもういいと言うことはなく、あれもこれも ああ、こんなこともやってあげたかったという思いが募りました、、それは未だにあるけどね 苦笑

母が祖母が亡くなった時、何もしてくれていなかったようでも風避けになってくれていたのだなあと 何か心細いのよね と呟きました
私は母を亡くして その時初めてへその緒が切れ これから一人でやりなさい。と言われてる気がしました
お母さんは 186歳生きてくれてももまだ足りない と思います
それだけ大事な存在です
とりわけ奥様のお気持ちを想像するとあの日の私の絶望が蘇って泣けてきます

奥様によろしくお伝えください
Commented by koro49 at 2017-10-09 15:21
奥さま、しばらくは辛いですね。
どんなに手を尽くしたとしても、尽せなかったとしても、思いはそれぞれの人に、それぞれに。

そうなんですよね、ちょっとした日常は嬉しい。
すき間の日常を大切にお過ごし下さい。
Commented by wawa38 at 2017-10-09 20:06
過去3回喪主を務めましたが、いつも自分の意思とは関係なく葬儀が進みました。自分のときは何もしないよう書いておこうと思っています。

どうぞ、奥さまに早く日常が戻りますように。
日常は有難いものです。ワタクシいまごろ身に沁みています。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-09 21:37
> cocomeritaさん、あなたはほんとに優しい、ありがとう。
カミさんに伝えました。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-09 21:41
> koro49さん、カミさんは「まさかりさん」と呼んでます。
なんとか悲しみを日常の中に取り入れてほしいと思っています。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-09 21:43
> wawa38さん、今日は祭壇の飾りつけを自分でやりにいきました。
でも葬儀をどうやっても、ほんとうの悲しみはいつまでも続くのでしょう。

悲しみの日常化を早く、と願うのです。
Commented by たま at 2017-10-09 22:59 x
自分の両親の場合には兄が喪主でしたが、妻のご両親の場合には実質的な婿養子の小生がその遺娘2人を代表して精一杯に仕切ったつもりですが、中野・宝仙寺あるいは三鷹・禅林寺にて親しい親族でもない方にこそ(それも妻に)口さがないお小言を多々言われたものです。
 親を亡くしたときの心持ちは、文句ばっかりで叱られたことしか思い出のない男と(そうでもない?)女性の場合では違うようですネ。負けん気の強い妻が誰もいない流し台で大声を出して泣いていた姿をいまさらながらにいとおしく思い起こします由。
 それにしても、九州の片田舎の実母の葬儀では、集落のおばさんたち皆さんがそれぞれに自家の野菜を持ち寄り、実家の台所一切を仕切っていただいたのにはホントに頭が下がります由。
 折からの金木犀の香りに、香りなくこうべを垂れるススキの穂のご愁傷を添えさせていただきます。
Commented by j-garden-hirasato at 2017-10-10 06:45
日常の生活が送れるありがたさ、
普通に生活していたら、
あまり感じませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-10 08:54
> たまさん、禅林寺は亡妻の葬儀をカトリック式でやらせてもらいました。
神父さんが司式が済むまで供花してはならないというので駅まで行列が出来たとか、あとで聞きました。
ずいぶん昔のような気もします。
Commented by saheizi-inokori at 2017-10-10 08:54
> j-garden-hirasatoさん、つくづくそう思います。
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by saheizi-inokori | 2017-10-09 11:08 | よしなしごと | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori