日常のありがたさ
2017年 10月 09日
最初はふらつく恐れのあるカミさんのエスコートで行くつもりが、大丈夫だとがんばるし、こんないい天気に歩かないのはもったいないので、分裂行進。
遠くからきてくれる子供たちにも、小さなお土産を。
帰りは荷物をもってバスで一緒に帰宅。
家に入ろうとすると、深沢神社の祭り囃子が聞こえる。
そうだ、サンチを連れて行ってやろう。
小さな病気と夏の暑さのためにずっと散歩をしてなかったのだ。
日常っていいものだ。
自分の非日常とは関係なく回っている他の日常。
ふっと心が癒されますね。
一日も早く元の日常に戻られますように。
日常はしたたかです。
母を見送った時も 父を見送った時も 空気やお日様の光や 風やそう言う今まで普通に眺めていたものが その様を変えている、
輝きが増していると言うか、やさしいと言うか、そう言う気持ちになりました
母といつも話していた一期一会をさらに見に染みてもっと一期一会を徹底しなきゃと思い始めたのも この頃です
どんなに仲良く、どんなに沢山の時を重ねても これでもういいと言うことはなく、あれもこれも ああ、こんなこともやってあげたかったという思いが募りました、、それは未だにあるけどね 苦笑
母が祖母が亡くなった時、何もしてくれていなかったようでも風避けになってくれていたのだなあと 何か心細いのよね と呟きました
私は母を亡くして その時初めてへその緒が切れ これから一人でやりなさい。と言われてる気がしました
お母さんは 186歳生きてくれてももまだ足りない と思います
それだけ大事な存在です
とりわけ奥様のお気持ちを想像するとあの日の私の絶望が蘇って泣けてきます
奥様によろしくお伝えください
どんなに手を尽くしたとしても、尽せなかったとしても、思いはそれぞれの人に、それぞれに。
そうなんですよね、ちょっとした日常は嬉しい。
すき間の日常を大切にお過ごし下さい。
どうぞ、奥さまに早く日常が戻りますように。
日常は有難いものです。ワタクシいまごろ身に沁みています。
親を亡くしたときの心持ちは、文句ばっかりで叱られたことしか思い出のない男と(そうでもない?)女性の場合では違うようですネ。負けん気の強い妻が誰もいない流し台で大声を出して泣いていた姿をいまさらながらにいとおしく思い起こします由。
それにしても、九州の片田舎の実母の葬儀では、集落のおばさんたち皆さんがそれぞれに自家の野菜を持ち寄り、実家の台所一切を仕切っていただいたのにはホントに頭が下がります由。
折からの金木犀の香りに、香りなくこうべを垂れるススキの穂のご愁傷を添えさせていただきます。
神父さんが司式が済むまで供花してはならないというので駅まで行列が出来たとか、あとで聞きました。
ずいぶん昔のような気もします。