葬儀の準備は故人から遺族への贈り物
2017年 10月 07日
連日、二人が出かけて遅く帰り、機嫌もよくないのだもの。
とはいえ、サンチがじゃれて飛びついてきて顔を嘗め回すと、ほっとする。
ほっとするのはルンバちゃんにも、だ。
身体を動かすさえ辛いようになって(心も)帰宅したときに何となく部屋がきれいになっているのは、気持ちがささくれ立つのを防いでくれる。
きのうは葬儀などの打ち合わせで葬儀社に行った。
すべてが一万円というより十万円単位でお金お金お金。
戒名だって、亡父のそれとのバランスを考えると恐ろしい金額になる。
たまりかねて、結論を保留して席をたち、義兄夫妻とカミさんと僕でスマホから情報を集めたりして、別の葬儀社に変更した。
鳥取を出て長いのだが、こういうことの準備はしていない。
病が重篤になったころ、カミさんに「万一を考えて義兄と相談しておいたら」とアドバイスしたけれど「とてもそんな気になれない」、それもよくわかる。
四人で、ああでもないこうでもない、額を寄せ合って相談するのは、でも、悪いことではない。
金にあかせて(そんな金はないらしいが)見た目に豪華な葬儀を営むよりも、遺族が力を合わせてやり遂げることを喜ぶ顔が目に浮かぶ、ねえ、ママ。
一人一人が静かに悲しみと向かい合う時間は、これからいくらでもあるのだ。
夕方から篠突く雨の中を帰って、今日も「はじめ」に行こうかと思ったが、カミさんがふらふらする。
僕もかなりのダメージ、明るい店の家庭料理を食いたい気持ちもあるが、カウンターに座っているのもしんどそうだ(カミさんが)。
納豆、小さな豆腐、鯖缶、トマトなどを食器にも移さず、そのまま醤油やマヨネーズをかけて、食ってみると身体が欲していたのだろう、食欲がわいてくる。
そうこうするうちにカミさんも起き上がって来て、燗をつけてくれたり、ワシタポークを炒めてくれたりして、一家の食卓らしくなった。
さて、今日も細部の詰めに出なくちゃ。
ストレッチもほんの五分、8000歩も達成できないけれど。
残された人たちが、元気で、笑顔で、暮らすことこそが、なによりの供養になるのだと思いたいです。
お義母さまのご冥福をお祈りいたします。
寿司屋の親方も病気で休業中、そのことを知っていて、せんげつも、あのお寿司を食べに行こうねというと、「でも親方がだめなんでしょう」と残念そうに言ってました。
私自身のことならさっさと決めるのですが。
ホントに優しい義母でした。
ありがとう。
わーーなんてやさしいお顔のきれいな方なんだろう、、
側にいる人を和ませてくれる そんなやさしいオーラを感じるし
お幸せだったのだなあと言うのが、ありありと表情に出ていますね
、、と言うことは saheiziさんの奥様も相当美人ね 笑
うちは父の時は都立大学後のパーシモンでやりました
お葬式は 逝く人の背中を皆でそっと押してあげ、そして彼女のいなくなったその人生をそれぞれが改めて向かい合う そう言うけじめをつける儀式だと思っています
お金をかけたからいいとは一度も思ったことがありませんし、むしろ坊主になどくれたくないとも思っています 苦笑
むしろ たくさんお義母さんとの思い出を話してあげたら、きっと写真のようなやさしい笑顔で喜んで座に加わっていらっしゃると思います
お義母さんのように やさしい和やかなお葬式になりそうですね
それにしても こう言うことは疲れます
Saheiziさんも奥様もご自愛くださいますよう、、。
おっしゃるような見送りができるといいなあと思っています(11日告別式)。
改めて葬儀の意味について考えることができました。
今朝は久しぶりにストレッチをして洗濯も二回、ルンバと遊びました。
saheiziさんと奥様のお義母様への心のこもったお気持ちが、お義母様に伝わっていらっしゃった事と思います。
心からご冥福をお祈りいたします。
saheiziさんも奥様も、今はまだ、悲しみの中で落ち着かない日々をお過ごしかと思いますが、どうぞご自愛くださいませ。
見舞いに行くと「佐平次さんも来てくれたの!」と笑い、施設の人たちになにかというと「ありがとサン」と言って、それが最期の頃には聞かれなくなって淋しいねと言われました。
実母と亡妻の母親も亡くした後、もう一人の母親だと思っていましたが、残念ですが、見送る側におれたことがラッキー、感謝です。
お義母さまのご冥福をお祈りいたします。
しばらくお大変なことと思いますが、皆さまお身体に気をつけて
くださいね。