ナサニエル・ホーソンには落語が似あう 第141回柳家小満んの会
2017年 09月 20日
別天地だけれど住みたいとは思わない。
露天風呂から見た白い羊雲と飛行機雲、刺青のお兄さんも上を見ていた、故郷のことでも考えていたのか。
小満ん「渡しの犬」
なんと、ナサニエル・ホーソンの短編「デヴィット・スワン」を小満んが原文を読んで江戸時代の噺に翻案した。
若者が江戸への旅すがら矢切の渡しで舟を待つ間、木陰でつかの間のまどろみを取る間に、婿養子になりそうになったり、美しい娘と結ばれそうになったり、強盗に殺されそうになったり、、わずかな偶然でそういう成り行きを回避するのだが、当人は何も知らずにスヤスヤ。
成り行きを語り、「そうはならなかったのです、プレイバック」といっては現実の出来事、たとえば第三者が飛び込んできたりする、があって若者のまどろみが続くことを語る。
何年か前に「ラン・ローラ・ラン」というドイツ映画で、ローラが何かをするのに何度かプレイバック、やり直しをするというのを見たことを思い出した。
ぼくの人生も自分が気がついていないだけで、様々な偶然の出来事の影響で大きく針路が変わっているのかもしれない。
さいきんは、上方版の「ちりとてちん」として演じられることが多い。
しかしあの噺とこれとは「腐った豆腐を知ったかぶり・嫌味な男に食わせる」という点は共通だけれど、噺の眼目はずいぶん違う。
「酢豆腐」で生き生きと描出される若い江戸っ子たちの昼下がりの酒盛り準備の楽しさ、そこで交わされる地口をふんだんに含んだやり取りの妙は、当然(上方版だから)「チリトテチン」にはない。
先代文楽の十八番、その味を弟子の小満んだからこそ、、ワクワクしながら聴いていた。
クイッパグレて肥後熊本まで落ちてきた幇間が、かつて江戸で贔屓にしてくれた旦那が営む旅館に拾われて、そこは江戸の経験がものをいい、四年も働いてもらった客のチップを数えてみたら百両にもなっている。
旦那はもうひと踏ん張り頑張って二百両貯めたら、自分の旅館をもって妻帯も出来るぞと励ますのだが、百両を目の当たりにしたら急に江戸に帰りたくなった。
船で帰れば早いと便乗させてもらうが嵐に遭遇、薩摩まで吹き戻された。
貯めた百両と餞別の二十両、あわせて百二十両分、百二十里吹き戻された。
と、筋だけ書いても面白くもなんともない。
男の気持ちの変化、熊本と江戸の違い、とくに最後の遭難のシーン。
大きな噺を迫力をもって語る力量が求められる。
そういう点では雲助に分があるかもしれない。
小満んは通好み、人によっては毛嫌いもする芸風、しかも今日のネタもありきたりのものじゃない、はてさて入門者にはどうかと案じたが、面白いと感じたようで、一安心。
次回から会場が吉野町市民ホールになる。
居残り会会場を探さなきゃ。
次回から吉野町ですね。
休みをとってでも行かなきゃ。
ドレミさんが初落語で小満んを楽しめたというのは、凄い。
あの二人では、居残り会の話題、野球7、落語2、その他1、という感じでしょうか^^
いろいろとありがとうございます!
全くついていけてない私を楽しめるように誘導して頂き
本当にありがとうございました。
楽しかったです。
次回までに少しは勉強してみようかと、、、
よろしくお願いいたします。
昔、正蔵(当時こぶ平)の根岸の家がテレビで紹介されたとき、香葉子夫人が空豆と油揚げの焼いたのを大皿に盛ってきて、「この大きさじゃなきゃウチはダメ」と説明されたのには驚きました。
それにしても、小満ん、正蔵と落語家も多様な個性、だからこそ飽きないんでしょうね。
「商いってくれぇだから飽きずにやんなよ(時そば)」