敬老の日はサンチもいっしょにステーキで
2017年 09月 19日
カミさんがいろいろあって草臥れているから外食にしたいが(気分転換も含めて)、いつも行く「はじめ」「しろいし」が休み。
カミさんは自分がやるというけれど、それは家で食う方がうまいし、ありがたいのだが、疲れた顔を見ているとつらい。
後片付けも、やるというけれど手を出してしまって、それもシンドイことでもある。
寿司屋の「翁」が長期休業なのがほんとに淋しい。
この三店は我が家の延長みたいなものだからなあ。
「ワンちゃんは吠えませんか」うちでは吠えるくせに、外では借りてきた猫になる犬なのだ。
久しぶりに外を歩くサンチは大はしゃぎ、ちぎれるほど尻尾を振ってあっちに走りこっちで留まってクンクン、ちっとも前に進まない。
毎日散歩する自分が一番よくわかっていることだ。
このところ、とみに甘えるようになって、日に何回か(呼びもしないのに)とつぜん切羽詰まったような面持ちで、走り寄ってしゃにむにしがみついて顔を舐めたがる。
ストレッチで寝ころがっているときも舐める舐める。
それは、散歩をしたい気持ちの噴出なのかもしれない。
ドッグ・フードしか(あと毎朝リンゴをひとかけ)食べさせないので、味を覚えると大変だと小指の先ほどを差し出すと猛然と乗り出してくる。
それでも心配だから(晩御飯も食ったし)一切れだけにして後はナイナイ。
ちょっと意地悪だな。
味はそれなり、値段が値段だし。
「ステーキをこうして食べるのなんて何年ぶりかな」「サンチと一緒に来れたのが嬉しい」
そこがウリ、こちらのカイだ。
表通りを救急車が走っても(いつもなら遠吠えする)、大きなラブちゃんが近寄って来ても、柴ちゃんに吠えられてもじっと無言のサンチ。
かつて西新橋の「麤皮」を始め日本橋「まこと」など目の玉の飛び出るような高い店で食ったステーキは、そりゃあうまかった。
うまかったけれど、自分のカネで食ったのじゃない。
麤皮でわずかばかり残ったステーキを包んでもらって亡妻の土産にしたら、そのうまさに感激した。
その時の疚しい気持を覚えている。
サンチと二人で自分の時間とお金でこうして食う方がいいね。
「でも何年か前、子供や孫が勢ぞろいした正月に清水の舞台から飛び降りてシャトーブリアンを焼いてあげた、あれは美味しかったね」「ああいうことをしといて佳かったな」そんなことも語りあう。
味を覚えちゃうと、
後が大変ですね。
ステーキは、ほんとは家で焼くのが一番安くてうまいのですが、仕入もせず、焼きもせず、皿やフライパンも洗わずただ威張って食うというのがいいですね。