闘病するのは本人だけじゃない 村田喜代子「あなたと共に逝きましょう」
2017年 08月 22日
葡萄、むかしはデラウェアか本葡萄、滾々と湧き出る掘り抜き井戸に浮かべてある葡萄を、がぶっと噛みついて、皮だけをぺっと地面に吐き出した。
種なんて気にしないのだ、それが本場の食べ方だとお婆ちゃんがいったのだ。
「田舎のハエはきれいなもんだよ」、食卓に群がるハエをものともしなかったお婆ちゃん。
夢でもいいから会いたいな。
実際にこれに近いことがあったのかどうか知らないが、病院のこと患者を見守る妻(「光線」は夫)の気持ちを書くのがうまい。
何でもうまいのだ。
「名文を書かない文章講座」という名著がある。
食養で瘤が亡くなったという話を聞いて先生に電話で指導を受け(30分一回3000円三カ月ワンクール)て「細胞を引き締める食物を摂る」「陰性、砂糖、パン・果物、酢もよろしくない(梅酢ならいい)、日本茶は陰性、番茶烏龍茶は陽性、冬野菜は陰性、肉や油もダメ、玄米、自然塩、味噌醤油はヨシ、一口百回顎が疼くまでよく噛む、、」を厳守する。
一方で(日程の決まらない)手術にも備えて輸血用の血を採取しておくために鯉を丸ごと煮て鯉こくを作る噺は読んでいるだけで魚臭くなった。
興奮は爆発の引き金、薄氷を踏むような日々なのだが、夫は自分の会社に出かけていく。
私は大学で衣装論を教えてもいる。
長野県の焼野温泉でラジウムの岩盤浴もする。
玉川温泉で見た車で自炊生活をしながら治療する人や岩盤の上に横たわっていた人たちのことが目に浮かぶ。
けっきょく手術をして成功するのだが、私はうつ病のように気が晴れない。
休めと薦める友人は、夫が大病して治ったあとうつ病になる妻の話をよく聞くという。
私は、犯されてはならない人の魂、人の心臓が手術用のゴム手袋で触れられたことを受け入れられずにいるのだ。
ぼくは繊細・潔癖すぎる、と思う。
自分もペースメーカー手術で生きているし、身のまわりに何人も恐ろしい手術を受けた人がいて、どうあっても成功してくれと祈った僕には理解できない感情だ。
だが、それが村田の生命観なのだ。
自身のガンでは切らず抗がん剤治療も受けずに放射線治療だけで完治している(それが「光線」)。
ぼくは村田がかかった医師にメールして相談したことがあるが、症状によってはその治療法も効かないこともあると教えられた。
広島の放射線はまったくコントロールされずひたすら破壊し殺し溶かし焼き尽くした。
ゴム手袋をした他人であろうとも患者の命を守り、人間としての尊厳を貴ぶ医療に対して、人間の命を奪うだけでは満足せず徹底してその尊厳をふみにじり、苦しみを長引かせるのが原爆だ。
朝日新聞出版
自分の体より伴侶のことが心配。伴侶のためにも自分を大事にしなくちゃと改めて思った次第です。
↓の原爆の絵の番組、見ました。絵だからいっそう、強烈に迫って苦しかった。見てよかったと思います。
これだけのことがあってなお、日本はなんでこんなに情けないんだろう。
原爆の絵・・・現在の高校生が被爆者の話を聞いて絵を描き残すというものもあるそうですね。報道ステーションが取り上げていました。dailymotion.com/video/x5vx6dk で視ることができます。
周りの人のためにも養生しようとおもいます。
といいながら今夜も飲んでしまうのは困りものですが、それが生きるガソリンなのから、しょうがないかな。
ほんとに写真や文章では表わせない生の感情が伝わってきます。
想像力の欠如、または限界を補ってくれますね。
きっと好きになると思いますよ。
絵に描くというのは自分の中で一度受け止めたうえで表現するから、濃度・迫力がありますね。
「ゆうじょこう」、「屋根屋」、「蕨野行」、「人が見たら蛙に化(な)れ」、「百年佳約」などなどお薦めします。
きっと好きになると思いますよ。