歩き続ける 安倍の目が泳いだ国会中継&小西甚一「俳句の世界」
2017年 07月 25日
ここまでアベ一党は追い込まれているのだろう。
今日もずっと国会注視、やれやれ。
おや、蓮舫が今日は鋭い突っ込み、イナダもアベもしどろもどろ、目が泳いでいる。
きのうは夕方、駒沢公園から住宅街を抜けて玉川通りをまっすぐに8000歩歩いてみた。
三軒茶屋で7000歩、
それは物理的にも歩いたが俳諧の道を歩き続けたのだ。
小西甚一は芭蕉について、
作風の大きい変化は、他の人なら、生涯にせいぜい一度、よほどの人で二度を出るものではない。ところが、芭蕉だけは、かれの表現を、すくなくとも四期に区分する必要がある。これは、かれが生涯を「表現の旅」にさすらったことであり、かれ自身が「生きた俳諧史」だったことにほかならない。と書き、80頁を割いている。
くだけた口調で「かるみ」についても、先生なりの解釈をする。
そもそも「かるみ」とは、真の意味での「流行」に根ざすものであり、従来の在り方に安住しきれず、いつも前にひとあし踏み出してゆくことであった。それは作者としての態度(attitude)であり、その態度から生まれる表現のありさまが「作調」(tone)となる。態度と作調(トーン)とは、原因と結果との関係に当たる。閑寂に深まってゆく態度から生まれる作調が「さび」であり、繊細な感覚で鋭く穿ち入る態度から生まれる作調が「ほそみ」であり、情感と従順に融けあってゆく態度から生まれる作調が「しほり」であった。しかし、態度としての「かるみ」は、ひとつの境地に足を留めないことだから、特定の作調になるとは限らない。「さび」に停滞してはならないとする態度がユーモラスな作調を生むこともあれば、あまり「ほそみ」に執着すべきではないとする態度から平明な作調が生まれることもあったはずで、態度「かるみ」に対応する作調は、けっして特定のものではない。そして、死の直前に作られた句、
秋深き隣りは何をする人ぞ元禄期に入ってから、イメィジに語らせる技法が蕉風の特色となっていたのに、この句は完全にイメィジがなくなっている。
これまでのイメィジに依存した技法から踏み出した点でやはり「かるみ」の世界に属するといってよい。しかし、この句の作調は、軽妙とか平淡とかの評語に相当する種類のものでなく、むしろ「さびしさ」の極みである。それは閑寂さを愛し、情趣としての「さび」に安らぎを感ずる精神とは同じでなく、人間本来の、さびしい時はさびしいと感ずる生(なま)の「さびしさ」なのである。ところが、芭蕉が人間本来の感じかたに帰ってゆく「流行」は、なんとかして名句を作りたいと苦心する門人たちに理解されなかった。芭蕉は「この道」をひとり行くほかなかった。その道の先は、枯野である。そして、
旅に病んで夢は枯野をかけめぐるを十月八日、呑舟に告げ、翌九日三カ月前の句の修正を支考にいい、十日夕方から危篤に陥り遺言状三通を代筆させ、自身も一通したため、十一日夕方駆けつけた其角と最後の涙の体面をし、十二日永眠、享年五十一だった。
苛烈にして孤独な道を歩いての大往生。
車内で読む文庫本、味わい深い本だ。
さっそく食べると完熟、急いでゆっくり味わおう。
ご紹介ありがとうございます。
私は昨日は9000歩でした。
汗だくになりました、暑かったですよね、、、
saheijiさんのことおもってしまいますー
なのだと思いますが、国民が知りたいのは、ちょっと違う…
「誰が嘘つきか」「ちゃんとした人間は誰か」なのだと思います。
応答の中で、それを暴く弁舌を野党に期待したいのですが、
無理かなぁ〜
または、
自分が口に出して指示しなくても、下の人間が勝手に動く可能性がある。と、全く想像しなかったのか?
想像、予測できなかったのか?
そんな浅い考えの人間が、総理大臣になっていいのか?
を追求する方法もあるんじゃないかなぁ〜
とか、ともかく、イライラ、モヤモヤです。
テレビの中に入って『このうそつき”』と言いたくなりました。
この国会を開くのにいったいどのくらいのお金がかかっているのかと思うと更にイラついてきます。
桃美味しそうですね。
こちらまで香りが届きそうです。
ほとんどの国民はそう思っているのではないでしょうか。
>自分が口に出して指示しなくても、下の人間が勝手に動く可能性がある。
それを確信して、行動するのが政治家とくにアベ一党です。
だから総理大臣になったのでしょう。