怒りを忘れて食いねえ 「怒りをこめてふり返れ」@新国立劇場
2017年 07月 15日
どこが入り口なのか分かりにくい。
その前にATMをスマホで探したらATMの前に立っていたのだった。
別に怒りはしなかったけれど。
落日の大英帝国で方向感を失い現実世界に怒りまくる労働者階級の若者・ジミー。
虚飾をまとって日々を生きる社会のなかに見出したと思った純白の乙女・アリソン、強引に結婚してみたが、食う寝るところが思うにまかせず、妻は平凡な暮しに妥協して(せざるを得ず)生きている、そのあり様に腹が立つ。
妻の、裕福だけれど在りし日の栄光を惜しみ、娘の「家庭の幸福」を望むのが生き甲斐とする出身階級、それを象徴する親(とくに母親)が憎くてならない。
開幕からしばらくはラップのような機関銃のようなジミーの罵詈雑言が続く。
アリソンが妊娠したことを告げようとする矢先に血を引く者に対する呪詛を喚き散らす。
こりゃあ観念劇かと思っているうちにこちらの耳がなれたのか、劇がメロドラマ的転回していったからか、感情移入ができた。
森の穴のなかの熊と小リスとして生きていく。
怖い世界のなかで身を寄せ合っていく、「可哀想な二人」。
奇しくもフランス革命記念日に観た、「革命の世に生まれてくればよかった」ような「苦しみがなかったら生きられない」怒れる若者の劇だ。
長いセリフや飛んだり跳ねたりの演技を熱っぽく見せていたジミー・中村倫也、さいごのシーンでの詩的牧歌的なセリフが軽く聴こえたのはちょっと残念。
現代青年に通じるものはあるのだろうか。
前を老人がよたよた歩いて、この暑いのに爺さんは何しに歩くぞ、と思って追いついたら、きょうのメンバー、同い年の友人、前から見ると若々しい(年齢の割に)ハンサム老人なのだ。
怒りをこめてふり返っても、後ろ姿って自分じゃ見えない、とくに歩く様子は。
いつものことながら、ひとつひとつがとてもうまい。
「一刻者」のロックによく合う。
しめは寿司をちょっとつまんで、帰宅したら中学の同級会の案内が来ていた。
来月末、何とか生きのびるぞ~。
「一刻者(特に黒)」大好きです!
ツマミも好きなモノばかり、、、涎、、、
お仲間との楽しい宴でしたね♪
それがまたデータとして集められるのですからプライバシーなんてないようなものかもしれない。
3時間の大作で、saheiziさんがなかなか感情移入ができなかったのは、演出家の力不足なのか、役者さん達が力が入り過ぎてみている側をしらけさせたのだろうかなど、まったくその芝居を観てもいない者が言う事ではないのですが、かつて劇団円の芝居を見た時、あまりにも素晴らしくって大作もあっという間の時間に感じたことがあったので、ふと思い出してしまいました。
前は若く見せる事は出来ても、後ろ姿はなかなか誤魔化しがききませんよね。
saheiziさんのこの記事を読んで、私も慌てて背筋を伸ばしました(苦笑)
映画でもときどきあることです(若い人の台詞)。
テレビでも若作りのタレントの後ろ姿を映さなきゃいいのにとおもうことがしょっちゅうありますよ^^。
背筋を伸ばすとお腹も引っこむそうですが、持続するためには腹筋が強化されないとね。
そうか腹筋を鍛えるために背筋を伸ばすべきだな。