第一級の人物が北に行った 金石範「火山島」第四巻
2017年 05月 23日
3・11に学ぶ遠い国に敬意を表するとともに共謀罪に突っ走る美しい日本が情けない。
遊び歩いているからだ。
1948年8月13日、アメリカの信託統治下にあった南朝鮮は、北朝鮮との統一を果たせないまま大韓民国として独立する。
李芳根(イ・バングン)は4・3武装蜂起後の済州島から朝鮮戦争前夜のソウルに渡る。
大学でピアニストになる勉強をしていた最愛の妹が「南だけの大韓民国に反対する」ビラ貼りをして逮捕されたので受け出しにきたのだ。
釈放された妹は、李が日本に行けというのを断り、朝鮮における男尊女卑を厳しく批判する。
どうやらもうかつての「オッパ(兄)の言うことはすべて正しい」という妹ではない。
李芳根には前から南労党(共産党、人民党、新民党が合体)中央の幹部・黄東成(フアン・ドンソン)が入党を熱心に薦めていた。
ソウルで密かに二人は逢う。
護身用のピストルをやる、といったり、同志呼ばわりであたかも李の入党は既成事実のように振る舞う黄が、芸術家の集う”浪漫クラブ”を覗いてみないかと誘うときに(李は断る)なにげなく言った言葉
大体、南の各分野に残っている者で一級の人物が、現在いると思いますかね、うん。演劇、映画人、舞踊家、歌手から漫談家に至るまで、すべての分野の第一級、一流人物たちが、美(ミ・アメリカ)軍政下のこの地における生活に見切りをつけ、この二、三年のあいだに大挙三八度線を越えて入北して行った。地下活動のために命を賭して南の地に残っている者たちは別ですがね。読んで、ふっと足元を掬われたような気がした。
今現在の南北の(表見上の)関係、北朝鮮人民の”悲惨な生活”というような、刷り込まれた視点だけで北朝鮮をみてはいけない。
死に物狂いになったら日本大海皇子ごとき目じゃない人たちの血が受け継がれている。
枝豆、カツオ、ピーマンの肉詰め、納豆オムレツ、焼酎のオンザロック(カミさんはシソサワー)。
うまい糠漬けを食って、ママから糠漬け講座、こんど糠を分けてもらうことになった(シメシメ)。
私も何回も失敗してます。
もしかすると脱原発より難しいかもしれません。
こういう国民だったんですね
安倍たちは自民党草案ではとうてい改憲できないと思って、いい加減な妥協案をだしていますが、本音はそこにあることを片時も忘れてはならないと思います。
彼らは現在も憲法など無きがごとくにやりたい放題ですが、これで憲法を変えたら今の数倍の無茶苦茶をやるでしょう。
それと官僚中堅・警察たちがトップの意を忖度するまでもなく強権で臨んでくるでしょう。
良心的は裁判官の戦う余地をなくしてしまうのが怖いです。