笑って泣いてちょっと臭くて らくご街道 雲助五拾三次―鉄板・ザ・ファイナル
2017年 03月 11日
久しぶりの人形町・日本橋劇場、久しぶりの雲助独演会、コアなファンが中心で雲助部屋に来たような気になる。
時間になると、雲助がマイク片手に登場、集計結果が出るまで雑談でつなぐ。
鉄板なんてネタはないんです、それはどんな落語家も同じで師匠(馬生)だって「ざるや」でしくじった、三平はすべてが鉄板のようでいつも小屋が壊れそうに笑わせていたけれど、それでも患ったあとは(客はうけていても)本人が納得できないようだった。
なんども楽屋に「いかがでございましょう?」、時間を持て余しているふりをすると、会場から「誕生日おめでとうございます!」と大きな声、69歳だって、若いなあ。
「私は人前で話すのが子供のころから苦手です」小学校の生徒会長になったけれどしゃべるのは女の子、自分はその後ろで小さくなっていた、話の途中で前座が決定されたネタが書いてある紙切れをもってくる。
ぜんぜん浚ってない噺に当たったらどうしよう、と心配していた雲助の顔がふと緩む。
もう完璧に雲助一家のお父さんの挨拶、客席はこれだけで大喜び、会場がふんわり温まる。
「バイオレンス子ほめ」
バイオレンス、ってのは歩いている子供を褒めかけて、ひとりなのに気づき「あっちいけ!」というばかりか石を投げて「頭に当たって転んでやがる」とやる。
凶暴なようで、こんな石に当たっても痛くはないような気がするのが雲助。
「人情噺版・火焔太鼓」
戯れに滑稽噺を人情噺風に語ってみたら面白かったので、、あくまでも「お座興」ですから、あまり本気でお聴きにならないように、と断って。
「お直し」の女房をカリカチュアライズしたような女将さんと、深刻そうに受け答えをする甚兵衛。
とてもおかしいけれど、そうよ、さいごまでやるのはちょっとダレル。
まあ、お座興だから、ね。
中入り後「粟餅」
粟餅の黄な粉まぶしって、なんかに似てるでしょ?というスカトロ噺。
いやらしくないから、雲様命の奥様方も大喜び。
「夜鷹そば屋」
仲のいい老夫婦が二人で屋台を引いて夜鳴き蕎麦屋をやっている。
二人は「子供ができなかったこと」だけが人生の悔いだと、お互いに「畑がよくない」「鍬の入れ方がよくなかった」と言いながらも、根っこは、それも天の意向と受け入れるしかないね、とお互いをいたわり合う。
寒空の下の会話と感じさせない、あたたかな二人の醸し出す空気が心地よい。
青年がやってきて、朝からなにも食っていないと、蕎麦を三杯も平らげたあげく、一文無しなので自身番に連れていってくれという。
分かったけれどその前に屋台を家まで引くのを手伝ってくれ。
長屋について上にあげて酒をふるまい、手伝い賃で蕎麦代は棒引きに。
一つお願いがある。
一朱あげるから「ちゃん」と呼んでくれないか、あたしにも「おっかあ」と。
「なんだい宗吉」と返事をし、小言も言ってみたい。
なんども繰り返して感激し涙する二人と宗吉。
可愛くて優しくて賢いお婆さんが素晴らしい。
有崎勉(金語楼)作の「ラーメン屋」を今輔のテープで聴いて涙を押し売りするようで辛かったけれど、雲助のは笑いが先行する。
だから、かえって涙も出る。
日本橋劇場は花道が作れるので、以前に雲助一門がリレーで人情噺を掛けた時に、登場人物に扮した雲助が花道の引っ込みをしていました。
小里んと二人で殺陣を披露したこともあり、雲助には縁の深い会場のようです。
東京の春は、どこから飛んでくるのでしょう?
「そんなに急いでどこへ行く」
というのは、何かの標語でしたか…
でも、すごーく美味しそうだから、許す!
いやいや、ただただ、羨ましい…
ちょっと前までは月に一度くらい、いやもっと頻繁に日本橋劇場に行ってました。
文楽、歌舞伎、新劇、間口が広がって、その分落語が減りました。
身体の中に噺が入ってしまっているのです。
この日私のリクエストは当選しなかったです。
こんどはぜひ!
しいて言えば3・11の前後だけ、という感じが忌々しいような気がする、かな。
でもその日に改めて被災者に想いをいたすことは大事ですね。
3・12は森田村の友人と車であちこちしているうちにフクシマの爆発のテレビニュースを車内で見て、これは日本沈没かもしれない、と初めて気が付きました。それまでは停電ですから、すぐにも新幹線が動き出すだろうと思っていました。
雲助の噺で聞いてみたいです。