今からでも遅くない、イヨッ!テテン 橋本治「義太夫を聴こう」
2017年 03月 09日
これも浄瑠璃、こないだから面白がっている文楽の義太夫も浄瑠璃、浄瑠璃というのは「物語を語る芸能」、もともとは牛若丸との恋物語の主人公の名前が浄瑠璃といって、それが大ヒットしたから違う物語を語っても浄瑠璃というようになった(と橋本に教わった)。
義太夫と清元では歌い方や三味線が違う、その違いが分かった。
長唄と義太夫の真ん中に清元がある、のかな。
ではその長唄とは?
花やかな音に改良された長唄三味線の音は「劇場の音」ですが、義太夫三味線の音はそれ以前に「民衆の音」で、低い重量感のある音の中に人間生活のさまざまなニュアンスが籠められているようで、その振幅のある音が、人間の中に眠っている種々の感情を掘り起こすように響きます。
初心者でも楽しめるという趣旨で開かれていた古典芸能の会に「義太夫を音楽としてよみがえらせる会(道行の会)」の鶴澤寛也(女性)の公演の解説として話したものだけあって、
橋本節とでもいおうか、ユーモアたっぷりに桃尻娘がツッコミをいれるかのようなギャグも交えて深い蘊蓄を楽しく読めた。
去年、歌舞伎と文楽の両方で「仮名手本忠臣蔵」の全編通しを観たばかりだから、「道行旅路の嫁入」の解説はとくにあの舞台を反芻するようでお値打ち感満載。
人形浄瑠璃は韻文的で、歌舞伎は散文的。ちょっと難しいかな。
人形浄瑠璃・義太夫節は、「運命」というものに翻弄される人間を語るもので、床の太夫と三味線は「人間のドラマを語る運命」です。歌舞伎の義太夫狂言にも、床の太夫と三味線は登場しますが、これは「運命に翻弄される人間」を演じる役者の動きを助ける、補助的なものです。はっきり言ってしまえば、歌舞伎の舞台に「全体を統括する神」はいないが、物語進行すべてが太夫と三味線に委ねられた人形浄瑠璃の舞台に、「神」はいるのです。
でも、巻末の鶴澤寛也との対談「橋本治の小説は、義太夫である!」で、
爺さんが娘に「これ娘、聞け」とやるときに「これ娘」で三味線が「ツン」と一音だったら爺さんの話は大したことじゃない、それが「ツツン」となったら、その話は深刻、そうやって物語を増幅させていく。なんていう(要約)のは、わかる。
太夫は登場人物の台詞で心理を語るけど、三味線が語るのはその場の心理、情景。地の文なんですよ。三味線は地のリズム。だから、私は小説を書くときはいつもそうですよ、ここでテ~ンと一拍入るとか考えている。
ぼくだってリズムが悪い文章は書きたくないもの(これでも)。
河出書房新社
解ればきっと奥深さが粋なところにグラッっとくるのでしょうね
三味線が華たる心理情景の部分はいいですねー
ツン ツツン。。。。。
それまでは鼓とか琵琶で語っていたのが、撥を使う三味線は踊りの伴奏にも使え、花も実もある演奏ができるようになったと橋本治はいいます。ツンテン、、、。
落語を聴いたり本を読んだりラジオを聴いたりして時間を過ごしました。
こういうのも悪くないです。
私にとっては桃尻娘?と、ひらがな日本美術史の作者です。