自分のことばかり考えていた
2017年 02月 20日
日に日に日が長くなり、暖かくなって、それだけ爺の老化も進んで足をいたわりながら歩く。
引き戸に「重いので最初は力をいれてください」とあるのを、エイッなあるほど重かった。
店内の右手はカフエになっていて小さな木のテーブルが五つほど並んでそのすべてに向かいあわせになって楽しそうな人々がいた。
半分を買って外に出ると居酒屋が店開きの準備をしている。
「はじめ」が休業なので、こんどはこの辺に来てみるのもアリかな。
春あさきしなのは風もさむからむ老ひませる君につつがあらすな山梨の中沢厚さん(新一さんの父君)の屋敷の一部屋に叔母と二人住まいしていた祖母。
長野のことといえばたいてい僕たち一家のことで、読めばシチュエイションも見当がつく。
それなのに、この「老ひませる君」というのがわからない。
母はこの頃20代だったかとも思われ、存命だったかもしれない父もそんな年ではなかった。
叔母の編集した、今はボロボロになりつつある遺詠集は昭和16年ごろからの歌を大体の順番で載せてあるのだから「この頃」がいつなのかも明確にはわからない。
そもそもこの歌を詠んだときに中沢さんの家にいたかどうかだって定かならず。
この歌の前後には
しもともてうたるるごときくるしみに心ほうけてせんすべしらずなどという、煩悶の歌が並んでいる。
母がいた頃は、そういうことについて尋ねることができたが、今となっては本家の人に訊いてもわからないのではないか。
おばあちゃん大好き、だけで離れて暮らしていて、その祖母がなにを考えどういう人生を過ごして「おばあちゃん」になったか、もしかしたら話してくれたこともあったのかもしれないが、気にもかけずに自分がおじいちゃんになってしまった。
デパートのうぬぼれ鏡春来る母がこの句を作った年齢に近づいたぼくは、いまだに毎日の外出着に何を着ようかと迷う。
実用的見地からなら寒くないようにすればいいのだが、「おしゃれ的見地」からこれがいいかあっちの方が春らしいかと迷う。
新しいセーターを手に入れて喜んでいる。
母もきっとそうだっただろうに、いっしょにデパートに行って服を買ってあげることもなく、「服でも」といって、いつもより多くのお金をあげることもしなかった。
年を取ると省みて心苦しいことが多い。
お祖母さまの歌の、内容ももちろんですが、
「かな」と「漢字」の美しさ、リズム、に
はあ~、いいなあ~、と感じ入っております。
視覚に飛び込んでくる、「春」「風」「老」「君」。
それをつなぐ、やわらかい、優しい、かな文字が女性らしくて、
いいなぁ、です。
横書きのパソコン画面でさえ、そう感じるのですから、
縦書き、筆文字なら、さぞや美しい事でしょうね。
そして、お母さまの、ふわりと共感できるユーモア!
このユーモアを、saheiziさんは受け継がれているのですね。
人々がいる。春のセーターに迷うsaheiziさんがいらっしゃる。
お祖母さまとお母上の素晴らしい歌と句に思い深くし
そして、巡りくる春の新しい命を愛しむ。。
悪辣かつ獰猛な嵐が吹き荒み
この真っ当な幸せを破壊するなぞ許されないです。
お母様の詠まれたこの句と同じような事を、母が言った事があります。
もう親孝行さえできない遠いところに行ってしまいましたが、老いるという事が実感しつつある今、もう少し母の気持ちにそってあげていたらよかったのになあと、今頃になって思う日々です。