報道管制を許す空気 新劇「ザ・空気」
2017年 01月 29日
先を急いだのは銭湯を探していたから。
暗くなった路をスマホを頼りに西武線とつかず離れず、初めての銭湯「妙法湯」に入る。
脱衣所でオッサンが秋田弁らしい言葉でなんだか話かけてくる。
誰にかと思ったらボクに。
よく聞きとれなかったので、あいまいに笑いながらうんうん。
コンクリート打ちっぱなしの部屋に大きな机一つを置いて学年まちまちの小学生5人くらいに何を教えたのか、もう覚えていない。
経営者が貧乏な早大生だった(結婚していた)、ときどき街角の総菜屋で揚げている天ぷらをつまみにコップ酒をご馳走してくれた、はて何を話したのやら、それも覚えていない。
宇野重吉、清水将夫、滝沢修、山本安英、「オットーと呼ばれた日本人」、「火山灰地」、「夕鶴」、、数は少ないがいいものを見て、なんだか高揚して帰った。
でも椎名町の天ぷら酒と同じ、中身を忘れてしまってただただノスタルジア、懐旧あるのみ、ときおりつんとさすような痛みを伴う懐旧だ。
風呂上りの散歩といってもひたすら暗い道を15分ほど歩いて、常ならぬ建物の後ろから、こんな建物だったかいなあと心配しながら東京芸術劇場の小ホールへ。
満員、補助席もでている。
二兎社、田中哲司、若林麻由美、木場勝巳、江口のりこ、大窪人衛、永井愛(作・演出)、みんなぼくには初めてだ。
テレビのニュース番組で、総務大臣の「放送内容が政治的中立を欠く場合には電波停止する」という発言、それに対するキャスターたちの抗議、海外(劇ではドイツ)の「クレージーだ」という反響、現実に圧力をかけられて思うような報道が出来なかったジャーナリストの証言を内容とする特集を、さあ、いよいよ放送だというときに、社内の上層部、社外のなんとかかんとかの会、ネトウヨらしきもの、魑魅魍魎があの手この手で圧力をかけて番組内容を換骨奪胎しようとする。
それに抵抗する編集長、女性人気キャスター、苦しむデイレクター、上から送り込まれて編集長たちに変更を迫るアンカーマン。
かつては政治家もさすがにこんな品のないことをしなかったのに、今は平気で番組内容のチエックをし人事にも介入する。
それは彼ら政治家の品性・知性の問題だが、それを許してしまい、あまつさえ自己規制し、あわよくば出世しようとするジャーナリズム側の品性・使命感の欠如でもある。
さらにそれらを当然とする社会の「空気」が最大の問題だ。
まさに主人公がいうように
われわれは会社員である前に個人なのだ。という、自覚に立って空気清浄化、少なくとも空気醸成側に立つことを峻拒していかなければ、日本の1984年は今そこに・ここにある危機なのだ。
首相との「飯友」「ゴルフ友」、どのセリフ・場面も、ああ、あいつだ、これはこいつだ、これはあの事件だ、、既視感横溢。
まことに今現在のリアルな喫緊・切実切迫した問題だ。
既視感のない、そんなことになってるのかという人たちに見て欲しい、じわっと怖い劇。
日本のジャーナリズム、メデイアの弱腰(政治的中立という名の政権擁護・批判停止)が構成員の自覚の欠如だけに起因するものではなく、歴史的につくられてきたメデイアのシステム自体に大問題があることも指摘する。
この点について、ほめ・くさんの分かりやすい分析をぜひ参照してほしい。
何もかも忘れたようで、あの頃の「空気」、今よりも自由で活発な批判がどこにも見られた世の中の空気のことは覚えていて、それが「つんとする痛み」につながっているような気がする。
あの「空気」はもうどこにもないのか。
そんなことを考えながら電車に乗ったら「どうぞ」、席を譲られた、ああ、半世紀!
「はじめ」で、「ホンビノス」という貝をご馳走になった。
蛤に似てもう少し野性味がある。
怖いです。
昔と違って一見マンションのような外観にしているところも多かったですよ。
こんど昼間にあの沿線を歩いてみようと思います。
あの頃の空気は覚えていても、今は「つんとする痛み」も感じなくなっている自分が、情けない。