文化の日は俳句を読もう マブソン青眼選「日本レジスタンス俳句撰」
2016年 11月 03日
1948(昭和23)年公布・制定の祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」国民の祝日に定められた。のである。
おのおのがた、その趣旨を拳拳服膺されたし。
というわけで、今日紹介するのは
「一茶と猫」、「反骨の俳人一茶」、「フクシマ以後」、「反原発俳句三十人集」などでお馴染み?のフランス人・マブソン青眼が選句、これもお馴染み・わが畏友池田充が版画(俳人の似顔)を担当している。
1940年2月から1943年12月まで9波にわたり「治安維持法違反容疑」で44名の俳人が特高警察に検挙された(昭和俳句弾圧事件という)。
そのうち18人の4句づつを掲載している。
1925年に公布された治安維持法は、小林多喜二を拷問で殺し、俳人たちを季語を使わなかったり、自由律を試したり、社会を詠んだりしただけで、新体制(軍事政権)に反する思想の持ち主と疑い長期に及ぶ尋問や拷問を行い、その結果、意に反して自白を強要されたりして13人が懲役2年の刑を受けた。
マブソンが本書を編むに至ったきっかけは、彼がフクシマ以後、反原発の句を詠んだり文章を発表したところ、「俳句は客観写生、花鳥諷詠に徹すべきだ」とか「福島に行かずに詠むな」などと批判が寄せられ原稿依頼も減って「俳人は社会的なことを発言するな」という圧力を感じたことにある。
マブソンは、一茶が反権力的な俳句を作っていることを知っていたから、いつから「花鳥諷詠」が主流になったかを調べたところ、昭和俳句弾圧事件にたどり着いたという。
本書の序文で、マブソンはこうした権力の動きには花鳥諷詠を唱え、「日本俳句作家協会」(1940年設立、後「日本文学報告会」に吸収)のトップであった高浜虚子の存在が影響を与えた可能性もあるのではないかという。
では、18人の句を一句づつ。
降る雪に胸飾られて捕らへらる 秋元不死男
憲兵の怒気らんらんと廊は夏 新木瑞夫
戦死せり三十二枚の歯をそろへ 藤木清子
土にゐるものの生命や秋日和 古家榧夫
傷兵の妻が笑ってゐたり八月 波止影夫
煙突の木立静かに煙あげて戦争の起こりそうな朝です 橋本夢道
徐々に徐々に月下の俘虜として進む 平畑静塔
英霊をかざりぺたんと座る寡婦 細谷源二
我講義軍靴の音にたゝかれたり 井上白文地
墓標立ち戦場つかのまに移る 石橋辰之助
どれにも日本が正しくて夕刊がばたばたたたまれゆく 栗林一石路
戦争身近に拳闘を叱咤する 三谷明
軍楽隊壮麗と見て愉しまず 中村三山
戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ 仁智栄坊
僧をのせしづかに黒い艦が出る 西東三鬼
出でて耕す囚人に鳥渡りけり 嶋田青峰
一兵士はしり戦場生まれたり 杉村聖林子
銃後といふ不思議な町を丘で見た 渡辺白泉
定価 2千円
郵送の場合は
郵便振替口座00560-1-75876
「参月庵」
通信欄に「日本レジスタンス俳句撰」希望と記入。送料無料。
「日本レジスタンス俳句撰」を編むに至った その
きっかけにも、恐怖を感じました。
いつも貴重な書籍をご紹介頂きありがたいです。
どれを読んでも今の生活からは考えられない怖さがにじみ出てきます。それでも俳句作り続けた方々に頭が下がります。
ホウキグサとコスモスの咲く美しい八ヶ岳麓の景色、日本の秋って何ていいのでしょう。
万才とあげて行った手を大陸において来た
手と足をもいだ丸太にしてかえし
などの句で有名な反戦川柳の鶴彬(つる・あきら)も、特高に逮捕され翌年に獄死しました。これも当時の川柳界の大御所たちが彼を官憲に売ったとされています。
文化人すら手先にされて時代があったことは、忘れてはならない。