沖縄の雪と佐野の雪 組踊「雪払」&能「鉢木」@国立能楽堂
2016年 11月 02日
オリンピック会場のことをいろいろ論議している。
何百億円がはした金になったような感じになる。
学生時代から、ゲルピンに近づくほど、かえって贅沢(と言っても映画を観るとか本を買うくらいなことだったが)した。
百円やそこらを節約してもしょうがないと思うからだった。
今の日本も何千億、何百億円なんて、当時の俺の映画料金にも当たらないということか。
そうではないだろう。
ヨットレース会場が宮城では困る理由のうちには、選手同士の交流ができないからということもある、と真面目な顔で言う”スポーツ評論家”もいた。
日本選手権だって5000人も入れば足りる水泳やバレーボールに何万人もの施設を作ってレガシー、レガシー!維持費のことなど知らん顔だ。
お前らの厚顔無恥の負の遺産になるぞ。
寄ってたかって国民を舐めている。
ここでも(原発プロパガンダでも)電通とゼネコンが悪さをしている、日本をブラックにする企業。
国立能楽堂は、古典の日記念<雪舞う里に>と題して珍しい出し物を見せてくれた。
組踊「雪払い(ゆちばれー)」
1719年、尚敬王が冊封を受けた折に、宴席の儀礼を取り仕切る「踊奉行」に任じられた「玉城朝薫」が唱え(セリフ)・所作・音楽が一体となった新しい演劇・「組踊」を創始した。と、国立劇場おきなわの「琉球舞踏と組踊」に説明されている。
男性の士族によって演じられ、若い女性や若衆の役は元服の前の少年が演じた。女方の心得として「肉に骨を付けて踊る」という口伝があり、士族らしく、きりっと芯のある姿が求められた。
弟・亀千代(宮城茂雄)がひそかに服をもって追いかけてきて、一緒に戻って母上に謝ろうというが、思鶴は、私を連れて帰ったらお前まで虐められる、と断る。
それなら私もいっしょに死にます、というところに母が来て、弟を引きづり去る。
雪の中に倒れ伏す思鶴の前に実母の亡霊(海勢頭あける)が来て、慰めるが思鶴が一緒に連れていってくれと頼むと幽かに笑って消えていく。
そこへ、任務を終えた父が通りかかり、事の次第を知って(思鶴は自分が遊びに夢中になって遠くまで来てしまったと言いつくろうのだが)、乙樽を斬ろうとする。
それを、姉弟が「私の親孝行が足りなかった」「二人で両親とともに暮らしたい」「継母であっても親です、今まで育ててくれた恩を返さなくては世間の物笑いになる」などと交々、父を引き止め懇願する。
乙樽は非を悔いて、自分の気が狂っていたのか、これからはみんなで仲睦まじく暮らすことを誓うから許してくださいと言って、めでたしめでたし。
父は抑揚を抑えて一音づつ引き伸ばすような、声は男らしい語り口。
女性たちは、懐かしい琉球民謡のような節で歌うようにしゃべる。
同じ節の繰り返しだ。
琉球のことば、ところどころは本土と同じだが、各座席にある電気表示を見なければ分からない。
音楽も琉球の音楽、要所で三線の人が説明的に歌う、これもほとんど同じ節回しの繰り返し。
歌・三線 山城暁 池原憲彦 新垣俊道
筝・宮里秀明 笛・仲田治己 胡弓・新城清弘 太鼓・金城盛松
踊り手の動きはすり足や身体全体を回すようなところは能に似て、もう少し写実的、優美でありながらきりっとしている。
二人、三人で踊るのは、鏡像のようになったり同じ所作が揃ったりして、楽しくもあり素晴らしい。
服装は紅型なのだろう、美しい。
実母の亡霊は全身白装束、それも美しい。
70分飽きることなく楽しめた。
能・「鉢木」(観世流)
店の名前にまでなっている有名な日本武士道唱道の能。
高校の古典の教科書に載っていたと思うのは間違いかもしれない。
だって、すでに民主化された教科書だったし、いわゆる能の代表作品としては異色に過ぎるもの。
まず始まる前にシテツレ・常世の妻が静々と登場して、地謡座の前に片膝ついてかしこまる。
シテ・佐野常世(坂井音重)は前も後も直面、ワキ・最明寺時頼(森常好)が、前は修行僧姿だったのが、後は北条時頼のきらびやかな武将になってワキツレ・二階堂(御厨誠吾)とそのまた従者・アイ(山本東次郎)を侍らせて床几に座って、威風堂々常世を引見し、領土を安堵するというのもあまり例をみない。
幽霊も出てこないし、舞いや斬組もないなあ。
筋は先刻ご承知、雪の夕暮れ、宿を求める旅の僧に、汚いし何もできないからと始めは断る常世を妻・シテツレ(坂井音雅)が、「今こうして零落しているのは前世の修行が足りなかったのだから、ここで坊さんに功徳を積んでおけば後世に報いがあるでしょう」と説得する。
ワキの森と二人、音吐朗々、、降り積む雪と尾羽打ち枯らした頑固な侍、それを支えるかいがいしき賢婦人、オペラの一場面みたい。
松の盆栽は本物に白い綿をかぶせたものを運び込む。
まさか、ほんとに切りはしなかったけれど。
アイ・早打(山本則孝)が「忙しや忙しや忙しや、、」と登場。
北条時頼が関八州の大名たちに、なぜか、急遽鎌倉に集まれという御触れ、みんなを「お急ぎそうらえ!」督促の使者なのだ。
風のように六州をまわり、「おお、来た来た、緋縅の鎧に矢車の指物、あれは○○の軍勢、おや、あそこの侍は落馬した」なんて眺めて、みんな揃ってきたことを確かめる。
早笛(一噌庸二)に呼ばれるように常世が長刀を担いで武将の姿で現れる。
関八州の大小名、さぞかし立派な軍装に身を固め、まるまる肥えた馬でやってくるのだろう。それに引きかえこの俺は、
常にかはりたる馬物具や打物の。物そのものにあらざる気色に。さぞ笑ふらんさりながら。所存は誰にも劣るまじと。心ばかりは勇めども。ここでドン・キホーテを想うのは邪道か。
勇みかねたる痩馬のあら道おそや。
(地)急げども。急げども。弱気に弱気。柳の糸の
(シテ)よれによれたる痩馬なれば。
(地)打てどもあふれども。先へは進まぬ足弱車の乗り力なければ負ひかけたり
時頼は二階堂に、二階堂は従者に「いかにも千切れたる腹巻を着、錆びたる長刀をもち、痩せたる馬を自身で控えたる侍一騎がいるはず、それを連れてこい」、と命ずる可笑しさ。
アイ・従者・山本東次郎があちこち探し回るもまたおかしく、ついに、おおここにいた!と喜びの声を上げたときには、見所も笑いと安堵。
なんでワシが?「見苦しき者を連れて来いってさ」、じゃあ、もしかしたら敵謀反人と思われて斬られるのか、それもしょうがない、と腹をくくって御前に参上。
時頼は常世が雪の宿で語った「いざ鎌倉」の言葉の真偽を確かめるために関八州に召集令をかけたってんだから、人騒がせな執権だ。
まあ、弘法伝説みたいだし、律義者が報われるってのはいい気分ではある。
内助の功ともいえる噺。
平べったいしゃべり方でクソ怖ろしいことを抜かす稲田某みたいなのに、「国民はすべからく一朝事あれば己が命をさしだせ」などと間違って使われては迷惑だけれど。
まかり間違うと滑稽な人物になりかねないし。
そこを、落魄すれども武士としての品格を失わず、己が務めを果たそうとする凛とした人物を感じさせた。
さすがは人間国宝だ。
小鼓・鵜沢洋太郎 大鼓・柿原崇志
せめて一回みたいのですが・・・・・
最近の世の中見たくない聞きたくない
これって年のせいで 自分が弱くなっているからかしら
毎月4回、一流の芸が見られて、しかも安い(私は脇正面2880円の席をさらに割引でみています)。
各座席に詞章表示が出るのも聞きとれない人にはありがたいです。
こういうのを見て少し元気になってまた怒っています。
オリンピック後の維持管理のことまで考えないといけません。
長野でも、
維持管理費がエライことになっています。
スケートリンクは、毎年国内の有数な大会が開かれ、
夏場もイベント利用でなんとかなっていますが(それでも赤字)、
ボブスレー・ルージュ会場は、
夏場もほとんど利用されず、
国の支援で維持費の一部が補てんされているものの、
それもボチボチ打ち切られるということで、
支援が得られなけらば莫大な維持費が必要になるので、
長野市では廃止を含めて検討を始めました。
こういう現実を、
スポーツ団体も、
真剣に考えてもらいたいものです。
自分たちは責任者ではなく要求者だと思い込んでいるのでしょう。