アンドレイとピエールの思想の大転換 トルストイ「戦争と平和」(2)
2016年 10月 07日
いそいそと図書館に第三巻を予約する。
図書館の良いところは、いうまでもなく経済的な負担がないこと、でも手元に置いておかないとすぐ忘れるから、こういう長編を読むのには大事なことをメモしておかなければならない。
というわけで、アンドレイの思想的大転換の一場面から。
家族よりもなによりも名誉を勝ち取ることを第一にしよう、ナポレオン以上の者になろうと思っていたのに。
あお向け倒れたアンドレイが見たものは高い空だった。
なんて静かで、落ち着いていて、おごそかなんだろう。おれが走っていたのとはまるで違う。瀕死のアンドレイはナポレオンに救われて「気分はどうですか、わが勇士?」と声をかけられる。
おれたちが走り、わめき、取っ組み合っていたのとはまるで違う。憎しみのこもった、怯えた顔で、フランス兵と砲兵が砲身清掃棒を奪い合っていたのとはまるで違うーまるで違って、この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて、そうだ!すべて空虚だ、すべて偽りだ、この果てしない空以外は。何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!、、
返事をしようと思えば出来たのに、目をまっすぐナポレオンに向けたまま黙っているアンドレイ、
彼にはその時、ナポレオンをとらえているすべての関心が、実に取るに足りないものに思え、この自分の英雄その人も、こんな小さな虚栄と勝利の喜びに囚われていて、自分が見、理解した、あの高く、正しく、善良な空にくらべると、実にちっぽけに思えた―だから、彼はナポレオンに返事をすることができなかった。
それに、出血して力がおとろえ、苦しみ、死を間近に覚悟したために、彼のなかに呼び覚まされた、あの厳しく、壮大に組み立てられた考えにくらべれば、すべてが無益で、取るに足りないように思えた。ナポレオンの顔をまともに見つめながら、アンドレイは偉大さというものの小ささについて、だれも意義のわからない生というものの小ささについて、そしてまた、生きているものはだれひとりその意味がわからず、説明もできない死というものの、生以上の小ささについて、考えていた。
その死に顔は
ああ、あなたたちはあたしをなんという目にあわせたの?そんなことを言っているようだった。
小さな公爵夫人と呼ばれる社交界の人気者だったが、凡俗を嫌うアンドレイとの結婚生活は不幸だったのだ。
生きることの意味を喪失して旅にでたピエールは宿場で、
まるで彼の頭のなかで、自分の全生活を支えていたネジがバカになってしまったようになっていたところに来合わせた老人から、神を信じること、自分を浄めること、隣人のために生きることを説かれ、フリーメーソンに入ることを薦められる。
ピエールとの再会で腑抜けのようになっていたアンドレイは新たな生き方を求める気持ちになる。
それは三巻以降だろう。
>彼のなかに呼び覚まされた、あの厳しく、壮大に組み立てられた考え
は、どんな展開をみせるのだろうか。
フリーメーソン入会でピエールがどういう思想の変化をしたかの詳細とアンドレイとの再会における議論については次の稿で。
藤沼 貴 訳
トルストイの「戦争と平和」 読書中ですね、なんだか様々な登場人物が浮かび上がってきます。
半世紀もの大昔にさかのぼっているような錯覚を覚えています。
オーストリー、ロシアへの旅の興味が湧いた時代でもあるからです。そして身体に初めてメスが入った当時、10日間寝たきりで、側に長女を見ながら、あろう事か盛んにナポレオンの歴史付いてーーー。いま所在なく天井を見上げもう暫く束縛の日々。
頑張ってますーーー頑張るという言葉嫌いな私。
なぜなら、自分の能力以上のことを強いて生まれる言葉ががんばりだから。
トルストイの最後の100ページは、まったく落ち込む内容で、そこまでの大ドラマをぶち壊しにするものだとの評が圧倒的な中、そこを根こそぎ削っているのが新鮮でした。ここに取り上げられた、傷ついたアンドレイが青空を見上げる部分も、ドラマで鮮明でした。
ピエールの妻、呆れる悪女ですね。
アクセサリとかシステムツールにたどりつけま。せん
全てのアプリからいろいろアクセス、悪戦苦闘中です。
それでも肝心のセリフとか情景描写などは自分で覚えられないのでこのブログをメモ代わりにするのです。
小説では、やたらとトルストイ本人がでてきて、「戦争とは」とかの解説が入るところもおもしろく、男女がひかれあうようになる最初の出会い場面が鮮やかで、トルストイには親しみを感じました。
子供のころに筋ばかり追いかけていたのがバカみたいです。