はるか遠き志ん生 桃月庵白酒 長月二夜 志ん生蔵出し
2016年 09月 29日
商店街を歩いて銭湯「文化浴泉」をみつける。
愛想のいい番台、清潔な室内、ブロ―マッサージとナノ(極細泡)の二槽、マッサージの方に入る。
冷たい水を通しているらしい管に頭を預けて足を伸ばす、膝の裏までジエットがもみほぐす。
20分、西郷山まで急坂を登るのでまた汗をかいてしまった。
昔この辺りにも住んでいたことがあるのだが、今見ると別世界のような、高い塀を回らした高級住宅地だ。
あまり心地よくない息のつまる散歩道。
おや、「一丁入りだ」、古今亭志ん生の出囃子(テープで聴きなれたそれとは微妙に違う、ゆったり感がない)が鳴って、でっぷりした体で登場、白酒「親子酒」
「いちどどっかで使いたかった」、今夜は「桃月庵白酒 長月二夜 志ん生蔵出し」の第二夜。
当代の爆笑王のひとり・白酒が師匠(雲助)の師匠(馬生)のそのまた師匠にあたる古今亭志ん生のネタを聴かせてくれるという、楽しみだ。
息子の酒癖が悪いのを心配して、お互いに禁酒しようと誓ったお父さん、禁酒三日目にして我慢の限界、息子が遅くなるのを幸い、ちょっとだけ飲ませろ。
カミさんとの下がかったやり取りも交えて団体交渉、もう一杯もう一杯でついにはヘベレケ。
酔っ払って呂律もなにも、言葉らしきものがめちゃめちゃになった男の描写はいつもながら巧い。
やっぱりグデングデンになって帰った息子と酔っ払い二重奏。
オヤジが「こんな、いくつも顔のある息子に身上はやれない」といえば「俺だってこんなぐるぐる回る家はいらねえ」。
爆笑で満員の客をつかんで快調な出だし。
親子で楽しむ酒は何にも代えがたいんだけどな。
講釈師のなかで一番若いと自称、講釈師というよりタレントとでもいうような声で、面白くないギャグを面白いかのように語る。
鎖鎌を遣う山田某と武蔵の血闘なんてあったか(宍戸某ならともかく)。
マクラで松之亟の熱演を褒めるような冷やかすような白酒流。
言い立ては稽古していないと難しい(ミスしやすい)からやりたがらない噺家もいる。
客が、さあ、始まるぞと、あまり前のめりになってくると、わざと間をおいてじらしたり、ゆっくりやったり(昨日の「黄金餅」の道中付けも)するといったと思うと突然才能のない医者の、それでも裏口から医者になってしまった友人の歯医者の実名も挙げたりして、どうなっていくのかと思ったら、「幾代餅」、たしかに藪医者が出てくるな、昨日やった「黄金餅」の餅繋がり?
吉原の花魁ナンバーワンを描いた錦絵を見て以来、恋わずらいで飯も喉が通らないという搗き米屋の奉公人清蔵が、夢かなって花魁・幾代太夫と会えたばかりか、その純情・誠実な愛にほだされた花魁が「年があけたらわちきを嫁にもらってくれるか」という夢が夢でなくなった夢のような物語。
夢のような噺だから、どう演じてもいいようなものだが、清蔵の純一は外して欲しくない。
笑いを求めるあまりに、あれじゃ間抜けな清蔵、変人奇人の清蔵じゃないか。
幾代太夫と清蔵が初めて会ったときのことを描写抜きにして「古今亭はこういうところは省略するン、下司な柳家は、、(以下は言わなかった)」。
笑いも来たけれど、他流の悪口をいうならそれだけの恋物語にしてほしかった。
吉原はTDLみたいなもの、テーマパークにミッキーマウスにあたるのが松の位の幾代太夫、などと言いながら、吉原を舞台の、暗く切ない夫婦噺に。
同じ店で働く花魁と従業員男子の恋愛はご法度だが、それを許したばかりか、二人に仕事を与えてくれた店の主人。
始めのうちは二人とも精励恪勤、蓄えすらできてゆとりのある暮らしができるようになる。
と、男の悪い虫が起きて、女に賭け事、気づくと二人は首をくくる寸前。
ここまできたら、と亭主が頭を下げて女房に頼むのが、ケコロ(蹴転)、吉原のなかで最低料金で客を(暴力まがいに引っ張り込んで)取らせる、俺が呼び込みをするからお前が女郎をやってくれ。
いくら昔やっていたって、今さらできやしないと嫌がる女房を拝み倒してその気にさせると、女房は「おまえは焼餅焼きだから、私が客にあることないこと色仕掛けをするのに妬かないで」と念を押す。
時間制だから男(亭主)が、時間がくると「直して(延長して)もらいな」と声をかける。
鼻の下を長くした客と女が夫婦約束(商売上)なんかしていると、「直してもらいな」、ぶっきらぼうに、だんだん間が短くなる。
あげくに客が帰ると、亭主は「もうやめた!こんなばかばかしいことをやってられない」。
「ばかばかしいこと!?やってられないのはこっちだよ!もうやめよう!」泣きだす女房。
慌てた亭主が必死に宥めて、女房は「一緒ンなっていて、どうかして別れたくないと思うから一緒にいたいんだから」と、そのうえなんともいじらしいことには「私が悪かった、勘弁しておくれ」とまでいう。
二人がふたたび仲ァ直して、仲良く話していると、さっきの客が戻って来て「おゥ、直してもらいな」。
落語だと思って油断しちゃあいけない。
俺はこの女房のことを考えていると、切なくなってくる。
二人が「愛を確かめ合って」もう一度ケコロをがんばっても、それがいつまで続くかはわからない。
まして、二人がまたまともな暮しに戻るなんてことはあり得ない。
この後二人を待っているのは心中かもしれない。
そういう絶望的状況のなかで、離れない・離れられない二人。
そんなものがかつてはあった。
今は?
この噺をやるのに笑いはいらない、哀切ななかに漂う人間存在の滑稽があれば、それは隠してもにじみ出るものだ。
白酒よ、精進ぜよ。
現役真っ只中の男が会社の苦労を語っていた。
頑張れ頑張れと思いながら芋焼酎のお湯割りを飲んだ。
ところで、池尻大橋駅近くの鉄鍋ギョウザ屋さんの本社社屋はいまだに健在なのかしら。目黒川沿いの桜散った頃、暮れて、何度通ったことやら。