「あ」、「今」読んだ、「ちょっと」「適当」「っていうか」 高橋秀美「不明解日本語辞典」
2016年 09月 25日
とはいえ、「なかのひとりは我にして」というのは、「お客様第一」とか「都民ファ―スト」とは違うんだなあ、なんてことをねちねち考えつつサンチの片足上げを見ている。
お客様・都民は怒っているだろうなあ、と考えるのと客として都民として怒りまくるとの違いは大きい。
ミステリじゃないから、ネタバレをおそれずに「おわりに―不明確の理由」から紹介すると、
言葉には意味がある。と考えるから、本書のようにぐるぐる回る回転木馬みたいな言葉の意味で目をまわすのであって、
言葉は意味をなす。が三好正解入道だと(そんな言葉は遣っていないが)言うのがHIDEMINEさんの結論だ。
言葉の意味は不明確にして不明解。不明解だからこそ話すのです。「話す」は「放す」で、解き放すことですから。そして意味が「なす」ものだとすると、漢語から文字や語法まで取り入れ、さらには次々と諸国語をカタカナで自分のものにしていく日本語は、
なせばなる、どうにかなる。
という言語なのかもしれません。
100冊あまりの辞書と100冊あまりの文献・一般書を引用しながら、言葉の意味が、ウナギのようににょろにょろと捕まえにくいさまを説く。
「あ、それ知ってる」は、「私、それ知ってる」とどう違うのか。
「いま」とは一体「いつ」のことなのか。
日本語に接続詞は不要、しかし。
「ちょっと、『ちょっと』って多いの少ないの?、ちょっと教えて」
「私もそう思う」と「賛成」の違い。
「リスク」と「危険」の違い、危険を「リスク」と言い換えることで大惨事を招いたのが、福島の原発事故だ、「危険」なら避けるべきだが、「リスク」なら「隣り合わせ」も許容される。
「つまらない」の否定語は「つまる」だが、ではなぜ「つまら-ない」が「つまらない」という意味になるのか。
「すみません・謝る・お詫び」は、謝罪にならない、「ごめんなさい」が正しい。
が、たいていは面白いから飛ばさない。
こういうユーモアが好きなのだ。
ちょっと土屋賢二に似ている(この「ちょっと」は、少し)。
新潮社
そのうち一緒に読むようになって・・・・結婚してからは自分で買って読みました。
しずこさんと花森さんという人たちがいなかったら、今の暮らしがもっと寂しいものだったのかもしれないと思いました。
しずこさんの生き方、すごいな~と思います。
顧客第一・現場第一をモットーに頑張ってきたつもりでしたが、「なかのひとり」意識が欠如していたから、どこかで現場からも距離をおかれたのだなあ、と反省をしました。
おもしろいだけではなく考えさせます。
「考える」という言葉についても、いろいろ検討していき、さいごに「言う」が考えるということだと結論しています。