サザエさんの街のねぶた祭り
2016年 09月 11日
上を向いて歩こう、、ドンドン、太鼓の音が聞こえてきた。
カワイイ着物姿の女の子がお父さんに肩車していった。
音の正体は深沢高校の和太鼓部、今日は桜新町のねぶた祭りだった。
桜新町大好き、お祭り大好きなはじめ一家なのだ。
本人は柏でサッカー観戦なのに。
でも、ことしが最後かもしれない、来年はもうこういうのをそんなに喜ばなくなるかもしれない。
さっき買った刺身をもってるし。
途中で「はじめ」のマスターにあった。
浴衣姿で微醺を帯びて上機嫌、「お店は?」「今日は出ない、こっちです」、酒屋の主人でもあるのだ、「もやサマ」に二度も登場した酒屋。
祭りの雰囲気もだいぶ違う、都会のオシャレな祭り、アセチレンガスの匂いやテキヤの店もなく土着的な祝祭などという空気はどこにもない。
でも気をつけて見ていると、お父さんやお母さん、お祖父ちゃんお祖母ちゃん、、家族が一緒にモノを買い、食い、見る歓び、地元の仲間たちの友愛の語らいにあふれている。
大家族、地元コミュニテイ、小さなお店、、。
日本会議や自民党が個人よりも家族を中心にした日本を作るための教育を推進し憲法もその方向で変えようとしている。
そう聞くと、手放しで共感することには忸怩たるものもあるが、、やっぱりいいのだ。
「はじめ」で新しい客がくるとママや常連が満腔の歓迎の意を表明し、「この町はいい町なのよ、、小さな店がたくさんあって何でも買えた昔はもっとよかったのよ」というのが分かる。
こういう町がなくならない(復活する)ようにするのには、憲法を改悪したり道徳教育の強化で家族観を押しつけてもダメ、それよりも大企業・競争・効率優先の経済政策を改めて零細な商店がやっていけるような環境を整備しなければいけない。
毎日がミニお祭りのように笑顔の見られるサザエさん通りにしてほしい。
俺は刺身をぶら下げて家をめざす。
反対方向に、これから祭りに参加する家族が三々五々、みんな嬉しそうだ。
人が多いから人も集まることでしょうしやればやったなりに
盛り上がるのでしょうね
田舎はお祭りをつなげるのに必死です
敬服いたします。
何か興味深いものをご覧になりながら、なんですね。
以前も書きましたが、散歩を文化スタイルにまで押し上げた植草甚一は「何かを売っていない町は歩く気がしない」と書きました。
道灌、いや同感です。
>興味深い、というまではいかない、ちょっとしたもの、草花とか雲の形とかを見ています。
たまに人の家から聞こえてくる物音も面白いです。
これは路地裏がいちばんです。
私は立川で初めてねぶたを見ましたが、本場青森に比べてやはり小さかったです。
いつもは静かな246沿いのバーは広島カープ優勝のパブリックビューイングで大歓声が上がってましたし、呑川ではポケ活にいそしむ若者たちがいて、土曜日の夜はそれぞれの楽しみ方でカオスとなっておりました。
平和な夜でありました。
わざと農繁期に豊作を祈ってやるらしいですね。
立川も商業的なねぶたではないですか。
それはそれでかわいらしくていいです。
青森は迫力ありすぎ、カラスが怖かったなあ。