チベットに幸多かれ! 映画「ラサへの歩き方 祈りの2400km」
2016年 08月 20日
昨日はギラギラ日照りの坂をのぼって映画を見にいった。
「ラサへの歩き方 祈りの2400km」をみるのに1km足らずの坂道を嫌がっては罰が当たる。
「叔父さんを連れてラサに行くことにした」、とニマがいうと、「私もいきたい」、と隣家のお腹の大きな嫁と夫もいう。
屠殺業の男は罪の意識で酒を飲みすぎるのでラサに行って罪業を償い酒もやめたい。
家を新築中に事故で人が死んだので俺も行きたい、じゃあ私も、そんなら「この子も連れていって」、いいとも。
浅草詣でに行くようなノリで瞬く間に11人の老若男女が出発だ。
一足40元の靴を10足で35元にまけてもらって。
美しく!峻厳なチベットの山々を縫うような道をひたすら五体投地で尺取虫。
明日は山が高くなるから早く寝よう、はい、お祈りをしよう、はい。
粗末なテントの中から経の合唱、小さなタツォの声がカワイイ。
岩が落ちてきて足を怪我した男が自分は何でついてないのかと嘆くと、
「それでもラサに行こうとするのは貴いことだ。足が治るまで何日か休もう」「はい」頷くみんな。
荷物を運んでいたトラクターが無謀運転の車にぶつけられて大破しても、相手の運転士に「以後気をつけるんだぞ」でおしまい、そこからは荷台をみんなで押していく。
押して行って、戻って五体投地の繰返し。
行きかう・通り過ぎる人たちとの短くても混じりけのない思いやりの交流、今自分たちに出来ることをしてあげるのは喜びなのだ。
事故があり、嵐が、雪が視界を閉ざすが尺取虫は進む。
1200キロ歩いてラサについたのちに金がなくなれば二か月も働いて貯めた金でさらに1200キロ先のカイラス山を目指す。
子供が生まれる、老人が死ぬ、鳥が舞う。
同じ人間なのに、やることなすこと俺ならばやろうとしないことばかりだ。
それなのに、それだから、羨ましくてしょうがない。
こんな生き方ができたら!
チベットに魅入られた監督がマルカム県プラ村で会った人たちの状況をそのままにラサ巡礼に出たそうだ。
チャン・ヤン監督の制作ノート
孫たちにも観てほしい。
観て生きていくってことはこういうことでもあるんだと感じてほしい。
チベットに行きたい、ラサに参りたい、っていわれたらどうしよう。
あの人たちは中国の差別・弾圧政策をどう感じているのだろう。
この映画は中国の意を汲んだ宣伝映画ではないだろうか。
嫌らしい疑いの気持ちから、ぐぐってみた。
チベットの近現代史にイギリスやアメリカがどれほど「悪い」ことをしてきたかをおさらいした。
生まれ変わったダライラマを仏のお告げによって「発見」するというチベットの心をそのままに受け継いでいる(出演者のほとんどが中国が分からない、学問もない)11人の奇跡のような・澄み切った物語は、そのまま受け取ることにした。
聖地ラサへと、五体投地(ごたいとうち)をしながら歩き続ける11人の村人たちの巡礼の旅。父の死をきっかけに、面倒を見てくれた叔父が人生に後悔のないように、聖地ラサへ、そして更に聖山カイラス山へと共に巡礼の旅に出ることを決意した男がいた。男が旅の提案をすると、親戚その他のマルカムの村人たちも、ラサへの巡礼を行いたいと名乗りを上げて、結局子供や妊婦も含めた総勢11人の旅路となる。五体投地とは、文字通り、両手・両膝・額の五体を地に付けて最上級の祈りを捧げること。これをしながら歩き続ける旅路は、体力を消耗する...... more
来月2日まで青森で観れるので、行きたいな。
その歩数は唱える経によって決まっていてズルをしてはいけない、おでこはちゃんと地につけるのです。