これも逝きし世の影だ 柳沢健「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」
2016年 08月 12日
まいあさの散歩、ストレッチ、夕方の散歩も利いているようだ。
落語に行くのもひところから見るとずいぶん減った。
これでも、なのだ、前が行き過ぎたのだ。
なんでも過ぎるのはせっかくの楽しみの鮮度・深みを減じてしまうような気がする。
過ぎるほど熱中した若者たちの話を読んだ。
深夜三時から五時までTBSラジオは、林美雄の「パックインミュージック」をやっていた。
一時から三時までの野沢那智と白石冬美の「ナナチャコパック」が人気番組だったのに対して林の番組はスポンサーもつかない、不思議な番組だった。
邦画、藤田敏八の「八月の濡れた砂」「野良猫ロック 暴走集団’71」、日活ロマンポルノ、ATGなどマイナーな映画、歌、荒井由実「ベルベット・イースター」、石川セリ「八月の濡れた砂」、桃井かおり「六本木心中」など無名な歌手、ニュースパロデイ「苦労多かるローカルニュース」、ゲストに小田実や小中陽太郎、野坂昭如もノーギャラで顔を出す。
有名だから、というのはない、林の感覚でいいものはいい、群れるのは嫌い。
60年安保、70年安保のあとの”リアルな現実との接触をもたず、憧れと夢に満たされた脆い存在”、ユーミンの「ひこうき雲」の少女に強く反応するような若者が熱烈に支持した。
番組で紹介された映画を見るために若者は行列をつくり、「深夜映画を観る会」ができた。ユーミンや原田芳雄が知られて人気を得るようになった。
番組中止を聞いたファンたちは「パック 林美雄をやめさせるな!聴取者連合(パ聴連)」を組織、それが林の誕生祝を兼ねてサマークリスマスを開く。
予定された代々木公園には400人もの若者が集まって、折からの雨のためにTBSのスタジオに移動した。
石川セリやユーミンが歌い、女優の中川利恵も酔っ払ってきて歌った。
林が6人の侍を募ってパ聴連の協力で、「歌う銀幕スター夢の狂宴」(管原文太、渡哲也、原田芳雄、藤竜也、宍戸錠、佐藤蛾次郎、榎木兵衛、緑魔子、中川梨絵、桃井かおり、深作欣二たちが歌う)を仕掛けて見事成功させるエピソードは痛快だ。
同時代に生きて、その名も知らず、まして深夜番組に耽溺するようなこともなかった。
どっちが普通だっただろう。
ちょっと寂しいような気もするが、俺も林もお互いのような生き方は間違ってもできなかっただろう。
ニッポン放送の「オールナイトニッポン」がビートたけしを投入することで深夜番組の勝敗は決した。
2002年、58歳で亡くなった林の半生記(とその周りにいたユーミンたち若者たちの物語)は俺の半生のパラレルワールドだ。
若者は反権力であるのが当たり前であった時代が、稲田朋美や安倍晋三を支持する時代に変わって行った半生記。
売り出す前のタモリが林の番組にきてやったという抱腹絶倒の四カ国語麻雀を聴いてみたくてググってみたがつかまらない(林パックのYOUTUBEはあった)。
ユーミンと石川セリをゲストにして生放送中に拓郎と陽水が闖入してきたときの五人のやり取りが載っている。
陽水は石川セリに興味をいだいて口説くつもりで突入したのだ。
番組の後4人は六本木に飲みに行く。
俺は石川セリという名も初めてだったので検索してみたら、陽水の二番目の奥さんになったらしい。
集英社
こりゃまた、またゴキゲンなTシャツですね〜
1974年…私は思春期真っ只中。陽水やユーミンも好きでしたが、
藤竜也が大好きで、カッコいいなあ、と思っていましたが、友だちに言うと、「変わっている」と笑われました。
その頃以降、10年間くらいは、桃井かおりに似ている、などと言われていましたが…遠い昔のことです。
そして、徹底した私生活とそれを支える感性を歌った・・・
『ベルベット・イースター』もある種の祝祭性があって大好きです。
それからビッグになっていくのですね。
私はそれほど良く聴く人ではないのですが。
学生でした。なにかこっそり聴かなきゃいけないような曲でした。懐かしい。