あえかなるもの・やがて滅びるものの美しさ 小川洋子「琥珀のまたたき」
2016年 08月 02日
一番下の妹が死んだのは魔犬のせいだから、外に出ることは「ママの禁止事項」なのだ。
勉強は図鑑出版社を経営していたパパの残した膨大な図鑑を片端から読んでいく。
彼らの名前もそれぞれが目をつぶって「こども理科図鑑」を指さして当たった石の名前からとったのだ。
琥珀のズボンと瑪瑙のロンパースには尻尾が、オパールのブラウスの背中には羽が縫い付けられた。
三人は少しも退屈しない。
部屋のなか、庭、空、、どこにも探検したり驚いたりするところはいくらでもあって、遊びのバリエーションは自然に増えていった。
雨が降ったり、季節風が冷たすぎて庭に出られない日の午後は、”事情ごっこ”をした。
”オリンピックごっこ”(「オリンピックのすべてがわかる図鑑」を徹底的に読み込んで、順番に好きな種目の選手に成りきり、あとの二人が新聞記者役でインタビューをする)が廃れた後に夢中になった遊びで、二冊の図鑑から選ばれた(目をつぶってページを開いて)キーワード二つを使って、一人が「状況」を作り上げると、あとの二人がそこにどんな事情があるのかを説明するのだ。
ピロスマニの絵のような驢馬も登場する。
庭の草を食べてもらうために借りて来た驢馬・ボイラーに子どもたちは夢中になる。
図鑑でロバが藁を背中に乗せたり石臼を回したり、重労働を、泰然として引き受けている写真をみる。
ボイラーに乗ろうとした男の子は、涙声になって「ごめんね、無理に乗ろうとして」という。
胸が苦しくなった琥珀をオパールが図鑑に息を吹きかけるほどの小声で(大きな声を出すのも禁止事項)慰めてくれる。
三人は子ども部屋の窓から同時に外を見た。庭は暗闇だった。しかし琥珀にはミモザの枝のなかにちゃんとボイラーがいると分かった。瞬きをしている間に少しずつ、点滅するシグナルの光に照らされるようにして、ボイラーの形が闇の中から浮かび上がってくるのを感じた。筋を追うというより、塀の外に住む人間にはみすぼらしく哀しく見える生活が、本当は豊かさ・美しさに満ちていること、その美しさは瑪瑙のほとんど音のない歌と共に滅びていくことを感じてちょっと涙ぐむような・絵本のような小説だ。
彼は彼にとって最も相応しい姿をしていた。藁を背負うのでもなく臼を回すのでもなく、真っ直ぐに遠い一点を見つめ、やがて彼にだけ分かるシグナルをキャッチして、ぴくりと耳を動かす。そして思慮深く頭を垂れ、大地に祈りを捧げる。そういう姿だった。琥珀が瞬きをするたび、ボイラーは何度でも祈った。
ボイラーは何度でも祈った。
万葉集を忘れていました。読みたいです。
三重テラスなんていうのはミニホールみたいなのがありました。
インチキタカ派安倍一党や小池ではなくましな保守の言葉をもう一度聴き直そうと思いました。