父から継いだ偏屈
2016年 07月 26日
学校で映画(デズニーか何か)を見にいくから、5円だったと思うけれどもってこい、と言われたのに、その金がなかった。
母があちこち探して、一晩中帰ってこなかった父の背広のポケットのなかから、やっとみつけた5円玉を持って登校、その日は朝礼があって全校生徒が校庭でラジオ体操をする。
壇上に立って大きな声で「イチっニっサン!」と言いながら模範演技をする先生。
真っ白な上着とトレパン。
凛々しい、元気いっぱい、朗らかな先生をみていて、「こんな父ちゃんの子供は幸せだろうなあ」と羨ましかった。
3年のときだったか学校の誕生日会みたいなイベントで友達と英語の詩を暗唱することになった(近所に米軍鉄道司令部で通訳をしている子供好きなオジサンがいてしょっちゅう遊びにいってはトランプ遊びや英語などを教えてもらっていた)と言ったら、ロセッテイの「誰が風を見たでしょう」を英語とその和訳を書いてくれた。
俺が英語を、友人が日本語を暗唱する約束だったのに、土壇場で自信がなくなって俺が日本語をやった。
帰宅した玄関、ちょうど便所から出てきた父にそのことを言ったら、父は激怒して、「ひとの通訳をするなんて情けないことをしたやつは上がって来るな」、玄関で立ちつくしたなあ。
鴎外を山だとすれば漱石は麓でしかない、スポーツマンなんて軽薄だ、サンフランシスコ条約は吉田茂が国を売ったのだ、、父の死後、母から聞いた父の言葉。
父が死んだときは10歳、俺は泣いたけれど心のどこかでほっとしてもいた。
明日から母と弟の三人で平和な暮らしができると。
間違ったこと、とくに弱い者いじめをする上の奴を許せない(父は上役の検事正の頭を叩いたそうだ)。
高校野球などの応援練習が嫌いなこと(団体的思考行動が嫌いだったらしい)。
オリンピックに関心が薄い、さらにドーピング騒動では、連帯責任という考え方が大嫌い。
高校野球チームの一員が煙草を吸ったからチームが出場停止なら巨人も出場停止だし、政党(とくに自民党)も活動停止だ。
本や落語も好きだったらしい、酒も、すこぶる。
感謝しながら一杯やるか、軽くだぞ。
時々そんな自分に気が付いてドキッっとすることがあります
父と折り合いが合わずにいた兄が 最近
その父にとってもよく似てきました
DNAというものはどうにもなりませんね
それって素敵なことですね! いろいろ想像いたします。
また「すこぶる」の言葉で、若い看護士さんに明るく
「おじいちゃん きょう元気そおー」と言われ
憮然と、そう答えてた無念の父を思い出しました。
ふふふ、お父さんとsaheiziさんの苦手なもの 私もほぼ同じく苦手です
うちの父親もねーー苦笑
決して自慢は、、できないなあ。、、気の毒だけど、、笑
でもね ああ、あんなことやってくれたっけなーと思いだすこともあるのです
偉大な母には太刀打ちできない
お父さんは始めから負けてるからかわいそうな部分もありますね
私が会社で上司と喧嘩したと言う話を母から聞くたびに きっと自分の娘だと 納得していたことでしょう
父も社長と喧嘩して 会社辞めてきたそうですから、 苦笑
そしてね 私の指と 鉛筆の握り方は 父にそっくりなのです
記事を読んで、向田邦子さんのお父さんみたいだと思いました。
向田さんの『父の詫び状』を列車の中で読み、涙が止まらなくて困った事がありました^^;
両親の長所も短所も、どちらも時々顔を出しますね。
苦笑する時もあるけど^^。
今日の話はしんみりと読ませていただきました。
たった10年しか一緒にいなかったお父上からとてもいいものを引き継いでいらっしゃるのですね。
親が90になるまで一緒にいても何一つ会話なく、影響し合えない親子だっているのです。
koroちゃんと一緒で私も向田さんのお父さんを思い出しました。妹の和子さんが戦争中疎開した時まだ字を書けなくて、葉書に元気だったらまるをかいてポストに入れなさいといったお父さんです。