喜多八を惜しむ&はあちゃんの運動会で子供たちの健やかな成長を祈る
2016年 05月 22日
けさの東京新聞「筆洗」で喜多八の死を、「押しつけがましさのない高座はおかしく、奥行きがあった」「伸びしろの先にあったものが実に惜しい」と書いているのを読んで、どうしてもまた書きたくなった。
志ん朝の亡くなった翌日、末広亭の切符売り場で、いい年をしたオッサンが「ダメだったか」と涙ぐんで佇立しているのを横目で見て中に入った。
あのオッサンになった気分だ。
それだけ隠居・俺に取って落語の占める位置が高まり、なかんずく喜多八の位置は、、いや順番は逆で、喜多八、小三治、小満ん、、そういう噺家がいたから落語の占める領分が大きくなったのだ。
コップ酒はコップに口を持っていってのみ、しかるのちに受け皿にあふれた酒をコップに注ぐ、うまくいちどで一杯になるような飲み方がいいのだ。これからはコップ酒とか焼き鳥のたびに喜多八を思い出しそうだ。
焼き鳥を串から外して食うなんてみっともないことをやめてください。
さわやかな五月晴れに歓声があがっていた。
はあちゃん3年生、さいきんダイエットして2キロ近く絞り込んだせいもあってか、リレー選手の走りは去年とはだいぶ進歩していて、チーム優勝に貢献した。
今の子はみんなきれいな子、発育もいいし、親たちもおしゃれだ。
でもどこか整い過ぎている。
通路を確保するのにサミットのおまわりさんもかくやと思うほど黄色の小旗をもった先生が規制している。
先生の目がすべてに光っている。
先生ご苦労様、と感謝もするが、もうすこし好き勝手にさせたらどうかという気もする。
はあちゃんはむしゃむしゃ食ったかと思うとすぐに「お菓子交換」の旅に出るのだ。
しばらくして「儲かった」と嬉しそうにお菓子の袋を下げてくる。
隠し資産などない明朗申告。
じっと立って見てると、日焼け止めを塗りたくったのに頬が焦げるような強い日差し。
アメリカンパトロールが聞かれなかったのがちょっと寂しかった。
今朝、ラジオから聞こえてきた「鱒」、運動会の子供たちの跳ねたり笑ったりを思い浮かべた。
「うまそうに演じたり、うまいと(聞き手に)思わせるのもいけない」
晩年の境地、押し付けがましさのない講座はおかしく、奥行きがあった。
そう書いて、筆洗氏は「伸びしろの先にあったものが実に惜しい」と
記事は結ばれていました。
はあちゃんパパの凄いご馳走に見入るばかり。良きパパであり、良き夫であり、良きお婿さんで、みんな幸せですね。
見逃さずに済んでよかったです。
ご紹介ありがとうございました。
落語はまったく門外漢ですが、喜多八さんの落語も聞いてみたかったです。
はあちゃんの小学校、子どもたちがたくさんいていいですね。
わが家の学区は、一学年やっと二クラスくらいで運動会もこじんまりです(^^ゞ
喜多八、動画ででもご覧ください。<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/rFPpi9XVQlQ" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
とても残念です。