喜多八がんばれ! 第572回落語研究会
2016年 02月 27日
時間の塩梅が下手になってきたのも年のせいか。
それでも「品切れの」岩波文庫を二冊ほど買ってしまった、店の外に置いとくんだからずるいや。
広瀬某の一之輔へのインタビュー、一之輔の真打披露50日間に師匠がずっとつきあって途中までまいにち違うネタをやった(子弟ともども)噺、一之輔が高座の袖で聴いていて改めて一朝の凄さを感じたと語っている。
ほんとに一朝は一之輔といっしょに化け続けていると、俺も思う。
3月に落語教育委員会(喜多八・歌武蔵・喬太郎)で東北一周公演巡業をやる、その運転手を命じられたというマクラ。
俺が着任した会社で会社の車に若い連中を乗せて東北一周をしたこと、高速道路を150キロくらいでぶっ飛ばしたこと、今までの運転歴でのヒヤリハット経験などと梅田の事故を思い出し、喜多八の体調を案じ、半分うわの空で笑っていた。
落語の方は、声も悪くないし、ゆっくりしゃべるのも嫌いじゃないけど、テンポがいまだし、ま、これからだもの。
昨春、馬吉改め真打になって、ようやく落ち着いてきたところか。
きりっとした男前で、江戸っ子の噺を正面からきちっとやる。
頑張れ、がんばれ。
いったん幕を引いて、板付きで登場。
やはりやせ細って、笑顔が痛々しい。
坊ちゃんが初午で酒を呑まずにおこわをお代わりしたり子供たちと遊んできたと遅くなった言い訳をするところはカット、散髪から帰ってきて「おお、きれいになった」と迎えられる。
喜多八節はあるのだけれど、大きな声も出して、受けてもいるけれど、どうしても全体に勢い・弾むような楽しさがないのがクヤシイ。
若旦那も若さがないし。
無理しないで早く良くなって(なってるのかなあ)欲しい。
3月の東北一周なんて大丈夫なのか。
相変わらず大きな変な声でパアパア。
ケチというよりずるくて汚い旦那が「つまみ菜や」や「芋や」をいじめてただで商品やらタバコやらを取ってしまう。
トンチでも何でもない、単に脅し・騙しだ。
しつこく同じやり取りを繰り返し、芋やがイライラ怒り出す、俺もイライラ。
見ていた定吉が位牌屋に行って旦那と同じ手口でタバコと位牌を取り上げてくる。
ろくでもない主従だ。
文治を昔から可愛がって、なかなかいい噺家だと思っていたが、よく見たら「バカでした」。
俺はシャレと取らなかったぜ。
ふつうに権太楼節、笑いもそりゃあったけど、、なんか物足らない。
喜多八で俺の受け皿がささくれてしまったのかもしれない。
しょうがないから、今まで気になっていながら入らなかった店に。
山形からきて修行中のお嬢さんの感じがよかった。
板付き高座を続けるのであれば、彼を思いやる落語愛好家には、もう少し彼の病状に関する情報を発信して欲しいような、また、それを聞くのが怖いような、複雑な思いがします。
とにかく、少しでも病状が改善されることを祈ります。
本音のところは、歩けるようになってから高座に上がって欲しいものです。
喜多八師匠、つなぎの地声がやや小さ目だったのが気掛りです。
会話の遣り取りは普段の調子なので良くなっていると信じたいですが・・・。
昨夜の中では一番の高座だったと私は思いました。
喜多八師匠・・・。
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」
啄木の歌がお店の柱に掛けられていました。
今は当時の半分ほどの広さ(狭さか?)になってしまったようですが
我が家にとっては忘れがたい青春のひとこまです。
写真の路地は裏口だったように思いますが
この通りももちろん舗装なんかされていなくて
雨が降るとびちょびちょしてたのを思い出します。
なつかしいなあ(と突然舞い降りた思い出にひたっています(^^ゞ)。
いわゆる皮膚感覚の庶民派。
文治はクスグリの後、客席の反応を時間かけて確認したり・・・・
でも、いつか庶民派の華になるだろうと思っております。
そこに期待しております。
昨日でたなかでは一番、そうかもしれないですが、期待値が大きいというか心配が先に立ってしまうのでした。
帰りに喫茶店にでも寄ろうものなら、次から次へとパラパラめくっては幸せを感じ、家に帰ると本箱にしまいっぱなしなんていうこともちょくちょくありました。
ミロンガにはなんどか。
こんどはランチ方々ラドリオに入って見ます。
神保町をいろんな時にいろんな方向からいろんな小路に入って見ると違う街に来たような気分になることがあります。
いろんな思い出も立ち上がってきます。
早く着くと近所を一回りして時間を合わせたりして。
それで30分くらい前につくのは当たり前でしたが、二時間はちょっとひどすぎました。
三つ用事があると30分×3にしてもまだ長い。