落語の世界はやさしい人ばかり 第569回「落語研究会」

歯医者で一本かぶせてもらって駒沢公園を抜けて地下鉄で半蔵門に。
ゆっくり、といっても20分もいられない、銭湯に入って国立小劇場の落語研究会。
公園で木の上に見た月がビルの上まで昇ってきた。
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(駒沢公園、以下↓の写真もすべて)

朝也「代脈」

ずいぶんよくなって、弟子の銀杏(ぎんなん)と駕籠の男とのやりとりなど、かわいい。

馬路「景清」

ちょっと重たいなあ、と思っているうちに上野の清水様に願掛けに行くあたりから引き込まれた。
百日目、観音様に必死でマントラを唱えて開眼を祈る。
くどすぎるようだが、それなりの必然性は、その後の家で赤飯を用意して待つ老母のことを聴かされると納得できる。
不忍池の石橋で雷に打たれ気絶した定次郎が、気がついて、「きれいな月だなあ、嘘みてだ」、、はたと目が明いたことに気がつく。
びしょ濡れの定次郎が煌々と照る月明かりのなかに立っている姿が彷彿。
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(いたずら好きがいるようだ)

志ん輔「富久」

王子の居酒屋で仲間と生ホッピーを呑みすぎて腰を取られた話から、酒で旦那をしくじった幇間・久蔵の情けない姿へ。
火事見舞いに、浅草三軒町から芝久保町へ駆けつける久蔵、筑波おろしに耳がちぎれそう。

「おお、久蔵か、よく来たな、出入りを許すぞ」
下心は承知の上で久蔵の気持ちを汲んでやって、「芸人はそっちで休んでいろ」とか、浅草の火事で再び駆け戻る久蔵に「無事だとは思うが、もしも焼け出されたら俺の家に来なければ駄目だぞ」という久保町の旦那。
「景清」で定次郎にこんこんとあきらめないで信心を続けろと励まし、その様子を見に来てくれる石田の旦那。
どちらも富の格差はあっても、思いやりと行いが伴う金持ち。

割り当てられた40分に収めようとしてか、志ん朝などで馴染みになっているセリフがところどころ省かれた、それでも長すぎるという印象。
難しい噺なのだ。
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鯉昇「武助馬」

久しぶりに見る鯉昇、やはりこの人のマクラは愉快。
役者志望の噺家たちが「俊寛」をやった。
幕をあげると岩にしがみつく俊寛、すぐに幕が下りて「瞬間」だとか。

猪、猿、ウサギ、犬、、十二支の役しかやらない武助を可愛がって、馬の脚をやるのを人を誘って、しかも役者たちに鰻重を差し入れする旦那、ここにもいたぞ、やさしい旦那。
酔っぱらってヒョロヒョロの前脚、屁までこくから馬の胴体が臭いッタラありゃしない。
フラフラが過ぎて馬の頭が折れて穴から前脚の丸顔がにゅ~、馬は丸顔って、百閒にあったかな。
その上、生まれて初めて「お、いいぞ!馬の脚」なんていわれて舞い上がってしまう武助、脚に穴をあけて顔を突き出す。

ドタバタの挙げ句に背景が倒れてその後ろの民家の古くなって「そろそろ機会があったら倒れたいなあ」と考えていた塀にぶつかり共に倒れると、庭ではオカミサンが行水を終わって立ち上がったところ、とんだミロのヴィーナスだ。

鰻やら屁やら酒やらいろんな匂いがする、とてもたのしいオゲヒン。
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扇辰「三井の大黒」

7月に亡くなった扇橋の大事にしていた三木助の十八番。
いぜん、小さなマンションで扇辰の噺を聴いたとき、出の前に楽屋代わりのキッチンで、「人」の字を手のひらに描いてのみこんでいるのを見ちゃった。
おそらく今日もまた丁寧に「人」をのんできたことだろう。
それとも五郎丸バージョンに変えたか。

謎の上方男、名前を忘れたというから棟梁・政五郎配下の連中がつけた仮の名が、ポンシュー、花火のようにポンと上がってシュ~と消えるから、ってシュールな命名だ。
ポンシューが彫った大黒様を見て、「なぜか泣けてくる」と感動する政五郎、いいね。
感動するのもそのはず、ポンシュー、実は神様ともいわれる左甚五郎だった。

どの噺も面白かったが、終演が15分も超過したせいかちょっとくたびれた。
人情噺の大作を短い時間に詰め込みすぎ?
「景清」「富久」、そうほうに神様への願かけの場面があって、「景清」「三井の大黒」ともに彫り師が主人公ってのもつきすぎ。
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居酒屋にもよらず、木枯らしの吹く中を歩いて帰宅。
ふと、こうして歩いている俺をどこかの監視カメラが映しているんだろうな、と頭をめぐらしてみたがそれらしきものはみつからない、ただ、中天に大きな月があるのみ。

と、「わっ!居残りさん!」大きな声とともにブレーキ音がして自転車がとまる。
八百屋の「KAISAI」のお姉さんだ。
遅くまでお疲れさん!という言葉が出てこないで、もごもごと「お休み!」と言った。
帰って無添加のカップラーメンを作って、タマゴを割りいれたら、さっきの月のようだった。



Commented by kogotokoubei at 2015-11-25 12:59
志ん輔のブログで、お客様の評価を気にしていたので、きっと佐平次さんのブログを読んでいるのでは(^^)
たしかに、ややネタ選びに問題ありですね。
私は、今夜、若手の落語を聴きに行きます。
Commented by c-khan7 at 2015-11-25 18:44
今年の年末ジャンボは10億円ですって。。
10億かぁ~~10億かぁ~~。
久さんみたいに、近所のお払いをさせてくでぇい。
Commented by at 2015-11-25 23:30 x
やっぱ、ユーチューブ、あかん。生きてない。
つまらんかったら居眠りとか、臨場感無し。悲しい〜
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 00:35
> kogotokoubeiさん、ああして聴いてみるとなまじ出来が良かっただけにこの噺の難しさが良く分かりました。
へたくそだとそれなりでいいのですが。
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 00:36
> c-khan7さん、1000両は一億くらいだったのでしょうか。
10億は要らないなあ。
二百万ほどでいいから、、。
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 00:36
> 蛸さん、誰の何を聴いたのですか。
落語は生に限りますよ。
Commented by at 2015-11-26 06:47 x
「富久」といえば、ご指摘のところ、「そんなことないよ、そんなことないよ、でも、もしもお前の家が焼けていたら、きっとウチへおいで!」
黒門町の口調が耳に残っています(もちろん生ではなくビデオですけど)
冬の噺は中身の前に寒さが伝わらないといけない、とは誰やらの話で聞きました。

Commented by j-garden-hirasato at 2015-11-26 07:10
来週には、
もう12月ですねえ。
木枯らしが沁みる季節になりました。
雨が降る度に、
一歩一歩冬に向かって行きます。
飯綱山の山頂も、
白かったです。
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 09:52
> 福さん、富久は黒門町と志ん生んの競演ですね。
どっちもいいな。
志ん朝は両方の統合かな。
場面転換がいくつもあって演者には大変な噺ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 09:56
> j-garden-hirasatoさん、飯綱の冠雪、みたいなあ。
Commented by ほめ・く at 2015-11-26 11:44 x
志ん朝の『富久』は約45分でしたが全く長さを感じません。この時の志ん朝独演会は仲前が『寝床』でこれも上出来で、後半の『富久』が終わった時にしばらく席を立てなかったのを憶えています。亡くなる少し前でしたが、生涯で最高の独演会でした。
Commented at 2015-11-26 12:14 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 14:50
> ほめ・くさん、変に短くしようとするとかえって長さばかりを感じるってこともあるようですね。
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 14:50
> 鍵コメさん、それは残念です。
楽しんできます。
Commented by ikuohasegawa at 2015-11-26 18:08
主題から外れますが
椿のいたずら好きは白紫陽花の新種と同じ人ですかねえ。
Commented by saheizi-inokori at 2015-11-26 23:29
> ikuohasegawaさん、そうなんですよ。
近くですから同じ人かもしれない。
会ってみたいなあ。
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by saheizi-inokori | 2015-11-25 12:36 | 落語・寄席 | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori