異変に立ち向かうのは人任せお上任せじゃだめだ 中国新聞取材班「猪変 いへん」
2015年 09月 20日
本気で、辞表を懐に忍ばせて、言葉通り「あらゆる手段を講じて、絶対廃案にする!絶対に認められない!」という戦いを展開していたら、最低でも昨日の夕方くらい、ひょっとすれば今日の今頃でもごちゃごちゃやっていたかもしれない。
今頃、地元に帰って、偉そうに「我かく闘えり」と吹聴して、夜はうまい酒でも飲んで、こんどの選挙は勝てるぞとほくそ笑んでいる奴がいそうだ。
シールズの諸君が政治に目覚めてもこういう連中がリードしていては再び政治不信に陥らないか。
もしそうなったら罪は自民党より大きい。
細川政権、民主党政権の失敗の罪が自民党=安倍独裁を育ててきたのだから。
2002年から半年ほど、中国新聞に連載された記事を中心に、猪と農家(中国地方)の戦いを取材した本。
「21世紀は獣害の世紀になる」といった学者がいるそうだ。
たしかに中国地方にかぎらず、房総、山梨、長野、、旅にでるとどこでも、猿・鹿・猪・熊などに深刻な被害を受けている話を耳にし、じっさいに人を恐れずに歩き回る動物たちを目にする。
猪突猛進どころか急なユーターンもジグザグ、後じさりすら自由自在。
いざとなれば一メートルものハイジャンプもする(ふだんは低いフエンスでも防護柵として有効)。
深刻な被害をもたらしている割に、その全貌がつかめていない。
猪の生態についての研究もほとんどなかった。
捕獲するのか、保護するのか、駆除する前にやることはないのか。
ハンターに委嘱して駆除した頭数で報奨金を出したら、奥山に棲む無害な猪を撃って、かえって人里に追いやる始末。
獲った猪をどうするのか。
食えばうまいが、流通ルートをどうつくるか。
手探りでいろんな情報をもとに取材していく。
補助金頼りの限界を知る。
獣害に泣き寝入りせず、何とかした農家が自ら立ち上がるー。
この当事者起点が、問題の山を動かしていく。
農家が狩猟免許を取る。おりのような箱わなを裏山に仕掛けだす。すると、集落ぐるみで立ち向かう意識も出てくる。しだいに地域づくりの一環として、獣害対策をとらえる発想が根付いていった。
これこそ、集団的自衛の佳き事例ではないか。
こういう運動・戦いに欠かせないのは「人」だ。
役所の中のジョブ・ローテーションのひとつとして短期間を義務的に務めるのではなく、長年腰を落ち着けて、現場に入り,農家の人々を説得して効果のある取り組みを作り上げていく役人。
それを助ける専門家。
どこにも前例とか教科書がないから自分たちで考え行動していく。
シールズの奥田君の言う、「孤独に判断し、自分の頭で考えて」だ。
でもやってるうちに孤独ではなくなるありさまが読んで楽しい。
当時者には深刻な話なのは分かっていてもどことなくユーモラスなのは、あの風貌にあるのか。
ハンターたちの趣味の場としてビジネスにしている欧州事情、縄文時代からの猪と人間の関係なども。
TPPで日本の農家が廃業してしまえば、猪はいなくなる?
段々畑が亡くなってから猪が里まで降りてくるようになったという。
本の雑誌社
地元の猟師とタッグを組んで、猪や鹿を料理することに力を入れています。
たくさん消費するために、自分で解体を学んで、燻製やソーセージを作り始めたのですが、そうすると保健所などがうるさくなってきたとかで、ついに狩猟免許をとりました。
うまくできているところもあるようです。
落語の「二番煎じ」を聴くと猪鍋が食いたくなります。
「池田の猪買」も楽しい噺ですね。
あの粋な感じは噺家を選びますね。
夏は小三治の「青菜」。
今迄は漫然と新聞を読んでいたが、この頃は
一字一句「誘導されていないか?偏ってないか?」と考え乍ら読む。判らない言葉は調べる。
安倍様のお蔭で勉強させて頂いています。
奥田君の「孤独に思考し判断し行動する」という言葉が心に響く。
「統治行為論」って、これで又、やられちゃうの?与党(多数)の暴挙は誰も押さえられないってことになってしまう。司法って何よ?
このところの青空がぴったり来ない感じで過ごしています
田畑を荒らす動物たち
農業が衰退してきたからの結果かもしれないですね
農業ばかりか漁業も若い力がなくなってしまって
第一次産業は原点だと思うのですが・・・・
今どのくらいの獣がいて、それを何頭にまで抑えるのか、その方法はどうするのか、ほとんど国は無策。