祭りだ祭りだ雲助のお祭りでェ 落語街道”雲助五拾三次”
2015年 07月 06日
雨が上がったので大急ぎでサンチの散歩をしてから駆けつける。
二つ目になったばかり、せんじつ落語研究会でも聴いたばかり、ばかりばかりだ。
前座・市助のころから雲助の独演会によく使われていた由、拍子木をうつときに失敗した話なども交えて雲助とのエピソードに憧憬が感じられる。
今日も丁寧な気持ちの良い語りだった。
骨董屋に登場する目の肥えた武士の風格を求めるのは酷というもの。
市童が前座時代の働きが良かったので、二つ目にならないでくれと云ったなどと褒める。
弟子の白酒は毒舌で売っているが、やっぱり雲助の褒め言葉の方が聴いて心地よい。
雲助の住んでいる本所、牛島神社の五年に一度の大祭について、二頭の牛に鳳輦ほうれん)を曳かせる、牛を飼うのに億という金が必要なこと、町ごとにより大きな神輿を作りたがることなど、楽しい祭り自慢をしてネタに入る。
三人の江戸っ子が粟田口で銭湯に入ってさっぱりしてから京都に入ろうと、「湯」の場所を女に訊くが、「風呂や」でなければわからない。
「湯」とはいかなるものかを説明するのが面白い。
後段の江戸っ子と京都の男の祭り自慢合戦。
江戸の祭りのお囃子のマネは長かったが、一朝などを想うといささか不満。
「祇園祭」は、何十年も前にやったきり、よほど「百川」にしようかと迷ったが、昨日さらってみたら、お囃子も京都弁もみごとにできて「よくきち」なる芸者も惚れ惚れする出来だったので、、ここで会場くすくす。
いざやってみたら、稽古していても云ったことのないような京都弁の言い回しをしてしまったり、、で爆笑。
でも志ん生師匠の京都弁よりは、、でさらに大笑い。
雲助大好き・落語通ファンの温かい笑い。
佃祭に行った次郎兵衛、さいごの便船に乗らないと焼き餅やのオカミサンが怖い。
でも満員で、「籠の中の葡萄のような」ありさま、身体の下半分だけ乗っけてくれという客もいる、乗ろうとしたら引き止める女がいる。
聞けば三年前の彼女が金を失くして大川に飛び込もうとしたのを金を与えて救ってくれたのが次郎兵衛だったという。
お礼を言いたくて毎日神に再会を祈っていた。
今は船頭と所帯をもって頭も島田から丸髷に結ってきりっとしたイイ女房になっている。
「ほらご覧、死なないでよかった」、ったくだ。
通された女の家で一献勧められて亭主の帰りを待つ。
まだ、すっかり暮れてはいない。
祭りの囃子が遠くに聞こえ、スーッと涼しい川風が抜けていく。
軒端で風鈴がチリン。
表をさんざめく娘たちの笑い声と下駄の音。
精悍な船頭・亭主が帰ってきて云うには、さいごの船が客を乗せ過ぎて転覆、全員助からなかった。
暮れ六つを過ぎて船を出してはいけないという定めを祭りの日くらい少しは外したってよかったのに、と仲間の死を悔しがる。
情けは人のためならず、次郎兵衛の女への親切がまわりまわって自分の命を救った。
女房のたまに町内の連中が入れ替わり立ち代わりお悔みに来る。
なにも云えずお辞儀だけして座布団の糸を引っ張って帰る奴。
私も祭りに誘われたけれど行かなくてよかった、、焦れば焦るほど云っちゃいけないことばかり言う奴。
親鸞上人の法話を語りだすおばあさん。
天変地異を語りスイカの不作からスイカ論議がとまらない先生。
自分の身体のこと、よく効く薬のことをしゃべる男。
与太は「ひゃあー!次郎衛門さんが死んじゃったあ!」号泣するからえらいやつだと思ったら、もうお小遣いがもらえないから芋を買えないと泣いてる。
六人だったかを見事に描き分け、笑わせる。
遺体収容に行くのに身体に何か目じるしがないかと問われて、女房のおたま、「二の腕に”たま命”と彫り物が」、とんだノロケだ。
そこへ次郎兵衛が帰宅する。
みんなは幽霊だと思って震え上がる。
「ワタシャ死んじゃいない」
「それがアータ、うかつテンです」
粗忽長屋だね。