現代に問いかけるマーク・トウェインは面白い マーク・トウェイン「それはどっちだったか」
2015年 07月 02日
ふだんはキッチンの中には入ってこないのに。
ピンときた俺が、リビングに行ってみると、、やってました。
コロンコロンとちいさなウンチ。
雨で散歩に行かなかったから、シートまで我慢できなかった。
甘えるときはカミさん、困ったときは俺、使い分けるサンチ。
「禁煙なんて楽なものだ。私は百回以上も禁煙している」という言葉は知っている。
トウェインの晩年、1899~1906年にかけて断続的に書き継がれた多くの作品のひとつ、作家の死後半世紀を経たのち1966年に発表された。
南北戦争前、1850年代初めの南部の田舎町が舞台の、面白く考えさせることの多い作品だ。
しかし殺人の嫌疑は、ジョージの友人である、町のトップ・《旦那》にかけられる。
ジョージは保身のために真実を明かすことができず、良心に苛まれながら罪の発覚に戦々恐々の毎日を送る。
人びとはジョージの錯乱と憔悴を友人である《旦那》のことや死んだ父親のことを思うがゆえであると誤解して、ますます有徳の士としてほめそやす。
ジョージに突然莫大な遺産が転がりこむことになってからの展開が後半のミステリもどきのドタバタ。
そもそもこんな遺産が入ると知っていればジョージは人を殺すこともなかった。
狂言回しのゴシップ屋、黒ずくめに白面の不気味な予言者、状況により自分に都合の良い宗教・政治的な信条に切り替えていく「低能哲学者」、自堕落な若者、酷薄な農場主、その農場主に人生を狂わされる黒人奴隷、白人ながら同じ農場主に過酷な下働きを強いられた女、、。
多彩・個性的な登場人物が生き生きと活躍する。
アメリカという豊かな国は誰に対して贖罪しなければならないか、その豊かさを継承させなければいけないのか?
個人の心の中の葛藤と社会のなかでの異人種間の葛藤。
痛快な復讐劇でもある。
禁煙についての警句と同じような言葉がいくつも登場する。
堕落するほど人を教えてくれるものはない。堕落の経験をする人間は物事を悟るのさ。
自分たちが思いこんでいるような考え方じゃなくて、本当に考えることをもし人々がしたらば、とうの昔に誰かが動機をばらばらに分解して、見つけ出しだろうに。利己心をどこであれ基盤に置かない動機など一つもないのだということをな。
(無慈悲な言葉を黒人に吐くジョージについて)それは単に当時の、有色の人間を扱う際の慣習や習慣にすぎず、この地域(カントリー)を初めて訪れる者なら考えただろうほどの深みも感情も込めていなかった。黒人は気にしないだろう。そう白人は想像していたのだ。彼らは黒人の見た目だけで判断を下し、その内面について問うことを忘れていたのだ。
併せて収録されている「インディアンタウン」もそうだが、登場する人々のキャラクターは、今この騒々しい狂ったような惨めな日本、世界にもたくさんうごめいている(俺も含めて)。
里内克己 訳
彩流社
素朴で無知でお人よしというステロタイプな黒人像を超えているのです。
ジムだって実はハックをうまく利用しているのですね。