露の新治の上方軍団がいいね 第五回「まいどおおきに露の新治です」
2015年 04月 25日
この会にはいつも上方から新治のファン、友人たちが大勢参加して東京人だけの落語会とはずいぶん違う空気が出来上がる。
「わいらのシンちゃん」という感覚、大きな声で掛け声をかけ、ホントに素直によく笑い拍手する。
東京でも追っかけファンとかオバサンなどに異常になんでも笑って「ゲラ子」などと陰口をたたかれる人もいるのだが、新治のそれは、そういったのと違って、彼らの作った空気が快い=アトホームなのだ。
オニギリやお菓子などよく食って、なんか村の鎮守のお祭りの余興に来ているような感じもある。
風貌もきりっとして色白、高座姿がきれいなように芸風も上方風に忠実でありながら下卑たところが毫もない。
明晰な滑舌、謙虚な語り口、ドラマティックな盛り上げ、芝居がかり、、どれをとっても素晴らしい。
東京と上方風の違いを警察の標語ひとつで説明してしまうマクラなどにみられる、キラッと知性が光る文明批評も魅力だ。
クスグリに号泣議員をさらっと取り上げたりするのもほどがイイ。
さん喬「天狗裁き」
ゲストだが、この後末広のトリだとかで、前座の後あがった。
若者の言葉遣いで、「チョーむかつく」、「腸はムカつかない、むかつくのは胃です」と言っただけで会場爆笑と拍手、「新治さんのお客さんは素直ないいお客さんばかりですね」と言ってたが同感。
コミカルに省力高座。
見てもいない夢を見ただろうと、そんなに隠し立てするのは、「さては、その方、幕府転覆を企てているのか」とお奉行に責められるのは、ちと特定秘密保護法かな。
「しじゅう三人」の三人組のそれぞれの描き分け、絶妙のテンポでのバカげた掛け合い、ただただ楽しい。
宿が三人の蒲団を川の字に敷こうとすると「真ん中の男は右や左に首を振って、カサゴやないんから」、わっと笑い、「ちょっと言っただけでんね、寄り付かんと、聞き流してください」。
一拍置いて「笠碁」のことだと解って無性におかしくなった。
素直イコール初心者じゃない、いいセンスの客だ。
新治「狼講釈」
いいかげんなことをペラペラしゃべる人を鉄砲と呼んだそうだ。
東京では「弥次郎」。
食い詰めた鉄砲勇助が、芸人だったら飯を食わせて泊めてもやるし金もやる、と言われて大飯食って風呂に入って謝礼も先払い、約束した講釈なんかできるわけないと夜道を逃げ出す。
ヨイサッサと逃げ出す風が楽しく、それをじっと上から見ていたモノがいる、と絵本にでてくる天から覗く二つの目を入れるのが実に感じが出ている。
それはオオカミたち、
ゼニもモノ言う時代や、オオカミかてしゃべるわい村人を騙してきて悪い奴、食っちまうぞ。
進退谷まって、講釈する、という。
さてその講釈が、難波戦記から始まって会津の小鉄やら赤城の子守唄、森の石松、源平盛衰記、赤穂浪士の討ち入り、堀部安兵衛、、さてどれだけ続いただろうか。
さいごに「今年の阪神もうアカン」でオシマイ。
べ瓶「反対俥」
鶴瓶の弟子で新宿に住んでいると言って、東京と上方の違いをかなり長くやる。
彼の出身地尼崎は日本一ひったくりの多いところ、だから警察の標語が「ひったくりはやめよう」、これはおかしかった。
新治師匠の着換えの間を、と言いながら30分近くやったんじゃないかな。
伸びるかも。
師匠の露の五郎が東京から上方に移した落語という。
五段目の定九郎の役回り(登場する必要)、さえない役回りであることを丁寧に説明する。
誰しもやることだが、忠臣蔵のことをある程度知っている客という前提ではなくて、お軽勘平がどういう人物なのか、それと定九郎がどう絡んで後の展開につながるのかと。
蕎麦屋で旗本浪人の濡れそぼつ姿を見てから、舞台での仲蔵までが流れるようだった。
黒の着物に白の献上、色白、これに刀の朱鞘、口から真っ赤な血がたらりだなと想像してみていた。
難をいえば上方弁の仲蔵夫婦と芝居見物の客の江戸弁の混淆。
森に梟がいっぱいいるのが💛
キュンキュン(^^ゞ
私はブルーで読書中です。
なお新治の2席目ですがタイトルは『狼講釈』かと。『鉄砲勇助』は別の噺で、東京では『弥次郎』という題で演じられています。