同志・バードマン! 映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
2015年 04月 11日
ネットで席を予約して行った、ほぼ満員だった日比谷シャンテ。
カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」をブロードウエイで上演しようとする、元「バードマン」主演大スター。
パンツ一枚で胡坐をかいて空中浮揚している後ろ姿から始まる。
右肩があがって、パンツからぜい肉もはみ出している。
空を飛んだ記憶、その浮揚感が通奏低音か、今は喪った栄光。
見知らぬ他人から注目され愛されることが、存在する意味なのか。
それを信じる多くの人びとは、ツイッターでFBでブログでつながりあおうとする、虚しくも。
大スターが栄光に包まれて世界中の人々から愛されていると信じていたときに娘や妻にとっては不在だった。
悔恨、老人の悔恨。
もう取り返しがつかないのか。
そうではあるまい。
そこに愛があったことを確信できれば、見捨てられたと思った娘も愛を遡及できる。
過ぎ去ったシーンが新たな照明を受けて違って見えてくるかもしれない。
それにしても心がついて行かないままに年を取るってことは残酷だね、同志バードマンよ。
ショービジネスの舞台裏、空疎なレッテル張り・常套語の批評を書く劇評家、舞台でしか自分の真実を確かめられないくせに他人には鋭い観察力を見せる俳優、、一つの舞台を創り上げるために集まった人たちの、それぞれのドラマがテンポよく展開される。
ユーモアというよりは機智に富んだコメデイ。
ビートの利いたドラムも佳い、チャイコフスキーがなんどか?これも佳し。
「二子玉川の開発は税金でやってるんだって、共産党がいってたよ」「あれは楽天じゃないの?」「何だか知らないけれどもっと困った人のために金を使ってほしいなあ」オジサン二人の会話。
「はじめ」についたら一番乗り。
「昨日来なくてよかった、もうてんてこまいだったの」、と言ってるうちに今日もどんどん席がうまる。
「今日は珍しく、クジラが入ってるよ」、「それ、貰う」「俺も」「こっちも」、、二時間も煮込んで柔らかくなった蛸と大根を食って「蛸がうまいよ」と宣伝係を務めた俺、つられてクジラも食う、うまし、あっという間に売り切れ。
小学校で給食の手伝いをしてきた人の話、「800人分のパンにジャムを塗るのに2時間かかった、足りなくならないかと心配した」。
子供たちに自分でやらせればいいのに。
小さいジャムの包みと大きな缶入りと、人件費と、さあ、どっちがコストが安いか。
コッペパンとシチュウだけの給食が懐かしい、うまかったねえ、うん、うまかったね。
でも、ぼくはへそ曲りでした。ヒジキ入り五目豆なんてメニューも大好きでした。
良い一日ですね*
二つ目のお皿はなんでしょう 美味しそうです~
先週すてきなカフェでSpiegelを開いたら
いきなりあべの写真があって、気分が悪るくなりました。
4頁特集で日本の現実と危惧。正確な記事でした。
小憎らしいほど粋なメッセージの発信続けてくださいね。
深夜目が覚めてモンモンとしてるのもつらいです^^。
それで、同志バードマンなんです^^。
今朝もうっとりして来ました。
たまには、ね。
全集を持っています。(^_-)
でも、「愛について語るときに我々の語ること」を舞台化するなんて、ちょっと想像がつかないわぁ。
元大スターはかなり複雑な人格のようですね(^_-)-☆
脱衣所に向いている銭湯が減りましたね。
図書館の予約枠がいっぱい、もう少ししてからかな。
こんど寄ってみようかな。