占領は日本・沖縄に何を残したか 福永文夫「日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄」
2015年 04月 04日
ほんとうの戦後はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年の4月28日から始まる。
講和条約の第一条に「日本と連合国との戦争状態は、この条約の発効とともに終了する」とある。
だからことしは戦後63年だと。
1945年8月15日から講和条約発効までの7年間、日本は連合国(アメリカ)の占領下に置かれていたから、真の意味の主権国家ではなかった。
うん、そこまでは国際法上も正しい。
前の東京都知事、石原慎太郎が「無効にせよ」の代表だった。
上の写真、4月3日・朝日新聞の佐伯啓思は、
もちろん、いまさら、あの戦後日本国憲法は無意味であり、無効でした、などというわけにはいかない。それこそ戦後68年、われわれがそれを擁してきた、という事実は消せるものではない。私が(憲法の正当性が疑わしい、と)いうのは原則論であり、原則論がそのまま現実論になるわけではない。と書いている。
もっとも佐伯は、
護憲であれ、改憲であれ、廃憲であれ、結論は人それぞでよい。しかし、上に述べた「原則論」はやはり押さえておくべきことであろう、と思う。と書いているのだが。
その主権無き占領下の日本の7年間は憲法のみならず、戦後の日本の枠組みを形づくる多くの立法や改革が行われている。
農地解放、婦人参政権などの選挙制度改正、労働法制、税制改正、財閥解体、教育改革、民法・刑法改革、、。
革命といっても過言ではないような民主化改革の中には必ずしもGHQが主導したのではなく日本側のイニシアティブで行われたものもある。
これらすべてが主権がなかったから無効だ、といったら日本は瓦解してしまう(そうしたいと思っている連中も多いが)。
例の冷笑的・韜晦的なしゃべり方で憲法無効論をぶつ石原だって、その憲法に淵源を持つ法体制の下で国会議員になり都知事になり、軍備なき経済繁栄の果実を人の何倍も享受してきたのじゃないか。
個々の歴史観や政治観を超えて、日本占領という密度の濃い七年弱の歴史のなかに分け入り、占領した側だけでなく、占領された側の記録をあらためてたどり、占領期の実像を明らかにする。東京と沖縄、ワシントン、それぞれにおける動きが簡潔にまとめられている。
無味乾燥な記述ではなくて、そのときどきの権力者、対抗勢力、庶民、メデイア、政党、労働者たちの思惑や言動が生き生きと書かれているので、退屈しないで読める。
とくに沖縄が天皇からもアメリカの軍事占領を「希望」され、アジア駐在の米軍の中でもっとも軍紀乱れる質の低いといわれた士官・兵たちによる場当たり的統治がなされていた無残をいまさらながら感じる。
ああ、俺が腹を空かせて、しかし伸び伸びと遊びほうけていたガキの頃、こんな重要なことが起きていたのか。
筆者は「あとがき」にこう書いている。
本書では、二つのことを問いかけた。一つは、日本国憲法と日米安保という、占領が戦後日本に残した遺産を総括することである、もう一つは、占領が日本を駄目にしたという論調に対する、違和感である。六年八か月ばかりの占領で、日本および日本人は駄目になるほどひ弱で怠惰なのだろうか。それこそ自虐史観ではないのだろうかと。後段の問いかけに、俺も共感する。
そこで追放解除などが始まったことが、民主化に対する「逆コース」という批判を呼び起す。
11月15日の読売新聞の社説、これをナベツネとその家来たちはどう読むのだろう。
最近見られる日本の社会現象には、新憲法を制定して立ち上がった数年前の革新気分とはおよそ縁のない恐ろしい逆戻りの珍現象があり、それがもし社会人に何の驚きも与えずに展開しているとしたら悲惨である。悲惨ですよ、ったく。
中公新書
ともかく、お母さんの胸に飛び込めるとよいですね。
私たち大人はそうはいかないから、冷静に今の日本政府の動きを変えるべく、何かできたらと思っています。が、考えのちがう友人知人たちには、「難しくてよく分からないからと、考えないことはよくない」とさえ言えない雰囲気があります。
彼が保守主義者として安倍政権に最も厳しい批判をするのではないかと期待しています。
そのミニサイズのような佐伯がもっと受付けられない感じです。
確かに、保守本道の人たちにこそ、安倍批判をしてほしいという期待はあります、でも、残念ながら、たぶん駄目だろうと思います。
そして何より、安倍を支持する一般大衆の皆さんは、
学者の意見など聞かない、のです。
残念ながら…
でも、希望を捨てたわけではありません!
頑張りましょう!saheiziさん!
そして、それでも不安だったからこそ、アメリカは、日米安保条約を憲法の上に位置づけて、司法権を取り上げたのだと考えていいのではないでしょうか。
安保・講和条約の頃は大きく変わりましたが。