白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波句集@「現代俳句全集 四」
2015年 02月 15日
”思い切って”CDのかけられるオーデイオを買ったのは何年前だったか。
電気屋が景品にやるというので持って帰ったのが「大地の歌」だった。
初めてクラシックではないLPを買ったのは社会人になって3年目だった。
ハリー・ベラフォンテ、「バナナボート」などが入っている来日記念アルバムだった。
どうでもいいことを覚えている。
いや、大事なことだったのかもしれない。
波多野爽波を始め六人の俳句が収められている。
1977年刊、2500円だ。
写真の右上が波多野、昭和14年から48年までの句から四百句が選ばれている。
芒枯れ少しまじれる芦も枯れ後ろに「自作ノート」というのがあって、波多野が十句ほどを挙げながら自身の句作に臨む心構えを書いている。
桐の木の向ふ桐の木昼寝村
私は俳句とは自然との良き出会いに恵まれることをひたすらに願い、そこに至らんとする粘り強い忍耐力と厳しい集注力の営為であると考える。これが為には自然に対しては飽くまで謙虚であらねばならないし、また自然に対する微細なまでの心くばりが必要であろう。学習院の後輩であった三島由紀夫が、「私が俳句から間もなく遠ざかったのには、模しても及ばぬ氏の俳人としての才能に、スゴスゴ尻尾を巻いて逃げ出したといふ趣があった」と書いているそうだ。
また更に、世俗にまみれ虚飾に満ちた自己をいかにして洗い流し、有りの儘の自己をそこに現出させるかが最大の眼目であろう。私はこのために常に多作を志し、現場での一句完結を願う。写生して写生して、どしどし句を書きとめ、書いてはこれを捨てることによって目の鱗を剥がし、身裡から世俗・虚飾を洗い流して行く。
桜貝長き翼の海の星有季定型の俳句に執する以上、季についてさまざまな試行錯誤をした末に、
季の問題が根底に於いて写生と深く関わっており、単なる感覚の鋭ぎすましなどでは容易に掘り下げ得る問題でないことを身を以て知らされたと書いて挙げた二句のうちのひとつ。
夜の海辺に現実に身を置いて口をついて出てきた一句であり、私の廔々口にする「現場での一句完結」の句である。と書いている。
夜に渚に立って目を凝らしてみても桜貝など勿論目には見えてこない、、(略)その場で確かに見たのは海の空に散らばる数多の星の中に一と際光芒を長く引いて、あたかもランプの揺れ動くかの如く見えた一個の星であり(略)
桜貝とは、幼少の頃から殊のほか海に馴染み、折あるごとに渚から拾い溜めたあの薄桃色の桜貝が私の胸裡深くに眼っていて、それが光芒を長く引いた明るい星に触発されて言葉として口の端にのぼってきたものであろう。
でも解らないなりに読んでいるとイイ気持になるのはなぜだろう。
マーラーを俺(クラシックなど解りはしない)なりに楽しんで聴いているようなものだろうか。
立風書房
ただでさえ、勉強不足の私ですが。
波多野爽波を今まで知りませんでした。
ネットでざざっと読みました。
なんというか、句を作るのが怖くなりました。
しかし、もっと、もっと、という気にもなりました。
爽波の句は、恐ろしいほどに、私の理想です。
先輩に連れられて行った料理屋で、出てくる料理、出てくる料理が
全て自分の好きな味、理想の料理であり、うれしいのだけれど、
もう、自分で包丁を持つ自信がなくなった、というような事態です。
と、云いつつも私は書いてゆくのだろう、と思います。
毎日、お気に入りの料理屋で御飯を食べるわけにはいかないし、
誰かに、好みに合わない料理を作って貰うよりも、
完成度は低いなりに、自分の食べたい物は自分で作ったほうが、
責任の所在がはっきりするし…といような程度ではありますが、
それもひとつの在り方かなあ、と思います。
ど素人、ど初心者が、何ナマイキなことを、とお笑い下さい。
「私が俳句から間もなく遠ざかったのには、模しても及ばぬ氏の俳人としての才能に、スゴスゴ尻尾を巻いて逃げ出したといふ趣があった」
書評は読むに限ります。
「 桜貝長き翼の海の星 」。。なんてすてきな句でしょう
その解説にも魅了されました! ご紹介感謝でございます
先生方のお顔がとてもいいと思います
人生の苦さと抑制と、片頬に少年の笑みという風な
上手く言えないですが。。。 今は少なくなった大人の
本を読みながら、ときおり耳を澄ます、そんな程度です。
有難いと思いました。