グローバリズム病の治し方 平川克美「グローバリズムという病」
2015年 01月 30日
また父が二冊置いてく。
また上を読む、同じシークエンスの繰り返し、そろそろ起きなきゃと思いつつ見続けた夢。
起きてみたら雪。
雪が降るとちょっとした多幸感がある。
あれは長野の子供時代、寒い雪の中を歩いて我が家にたどり着いたときとか、日曜日の母がいる時に炬燵に当たりながら外の雪を見ていた時などに感じた、「保護されている」ような幸せの感じが俺の記憶遺産になっているのかもしれない。
耳がちぎれそうに冷たかったことなどの苦しさよりも、それを克服し・脱したときの嬉しさを思い出すのだ。
何回かに分けて紹介したいが、今日はその最後の方のくだり。
かつて、吉本隆明は「結婚して子供を産み、そして子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ」(『敗北の構造』)と言ったことがある。「並はずれた努力や研鑽を積めば、誰にでもできること」と言われると、無理、という反応があるかも知れないが、生き方のベクトル・価値観を言っているのではないか。
含蓄のある言葉だが、今、この消費資本主義の時代にどっぷりと浸かっているわれわれのうちのどれだけの人間が、こういった含蓄を理解するだろうか。(略)
人間が、普通に生活していて、一生涯を生きていくということの意味の重さは、知識を積んだり、事業に成功して大金持ちになったり、会社で役職に就いたり、政治家になって権力の階段を上ったりすることとは無関係であると言っているのだ。
後者は、並はずれた努力や研鑽を積めば、誰にでもできることだが、そういった法則が支配する世界と、地縁や血縁や健康や偶然が支配する自分の力の及ばない場所で生涯をまっとうする世界は異なる次元に属しているということだ。
自力の及ばない場所で、なお生涯をまっとうすることの意味の重さは、人間を、自然や歴史の前で慎み深くさせる。
そうすれば、歴史が積み上げてきた家族の歴史や、共同体の習俗がなぜ生まれてきたのかを知ることになる。意識的にであれ、無意識的にであれ、普遍的なものに寄り添うことで、一過的な現象に過ぎないものや、幻想でしかないものを見分けることが可能になる。
つまり、普通の市井の生活は、思想的な拠点として、知識や経済といったものを相対化することができるということである。
筆者は以前紹介した「小商いのすすめ」において、
小商いとは、自分が売りたい商品を、売りたい人に届けたいという送り手と受け手を直接つないでいけるビジネスという名の交通であり、この直接性とは無縁の株主や、巨大な流通システムの影響を最小化できるやり方を強く勧めていた。
大型店舗の進出を許さず、又はそれらの攻撃にも耐えて繁盛している商店街はそういう小売店ががんばっているのだ。
(繁盛している)商店街を律しているのは、それぞれの商店主が、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ身に付けてきた、強固な生活者としての思想である。俺のどこかに、東京の雪に子供の頃の幸せを思いだし、落語に登場する江戸の職人たちの暮しを懐かしく感じられる気持ちが残っているのはラッキーなことなのだ。
そして、このおそらくは江戸期の職人の思想から接続されてきた生活者の思想は、経済成長路線のなかで育まれた日本人の価値観と、その子どもであるグローバル志向、経済成長至上主義の思想に対抗しうる有力な思想的拠点になるだろうとわたしは思う。
それは、グローバル経済か、ローカルな経済か、あるいはレッセ・フェールかケインズ主義かという決着のつかない経済理論上の二者択一とは別の視点を提供することになるだろう。
思想的拠点があるんだから。
東洋経済新報社
時には暖かすぎて身がよじれます 泪泪。。。。
子どもの頃 日本製のムーミンのアニメーションが好きでした
岸田今日子さんが声をされていた
ムーミン谷の住民は 其々が違っていて 個性が際立っていました
主人公のムーミンには まったく感情移入しませんでしたが
スナフキンの生き方に憧れたり ムーミン・ママの強さや
麝香鼠さんという哲学者の態度 スノーク家と云うスノッヴな家柄を
アピールすることの滑稽
アニメーションには思った以上の影響力があるものだと思います
お兄さまは お父上の事は滅多に書かれませんね
亡き人の思い出はは ココロの中で甘やかに熟成されるのか
私も 今はいない父の素敵な懐かしさが どこか心の糧になっていると
思います 自分が身罷った時娘には どんな記憶が残るのだろうと
ふと思ってみたり。
捩れてちぎれちゃう^^。
「ねえ、ムーミン、恥ずかしがらないで」が「はジュかしがらないで」と子供が唄ってましたよ。
父は10歳の時に死にました。
ふつうの人ではなかったということだけ覚えています。
雪、すぐ溶けてしまって、一寸がっかり。
ホントもう少し積もっても隠居としては良かったなあ。