こんなおしゃべりができたらイイネ! 井伏鱒二対談集
2015年 01月 23日
早口でアクセントが俺の馴染んだ日本語とは違うようで、外国人の会話かと思う。
内容は良く分らないが、噂話?「そうそうそうそう」のような合いの手や「きゃははは」の笑い声もやかましい。
賢そうな女の子、考えていることを言葉にするのがまどろっこしくてしょうがないのかもしれない。
人生で一番楽しい頃かも。
井伏鱒二、71歳から89歳までになされた対談、10篇。
おしゃべりってこんなふうに楽しむんだよ、と電車の中の女の子に教えてやりたい。
どの部分も滋味深く楽しめるが、その中でいくつか。
深沢七郎との対談で、井伏の言葉、
お茶が湧く間(俺注、山梨の桃畑にみんなでピクニックに行ったときのこと)、石の道しるべのところで、あなた(深沢)がギターで『楢山節考』の曲を弾きだした。そうすると、武田君(武田泰淳)の奥さん(百合子)とお嬢さん(花)が、しゃがんでじっと聞きほれている。お茶が湧いて、また弾くと、「君の楢山節考の曲は泣かせるね」と、ぽつり武田君が言って。空は真っ青、あの旅行は本当に印象的だった。「一宮の上の方」あたりの桃畑、俺も行ったことがある。
室内の一同は、電気にうたれたように、いっせいに起立して注目の礼をした。ところが、わが井伏先生だけは、起立するどころか腰かけたまま、悠々とマライたばこをふかして、窓のそとの文鳥をぼんやり見ていたのだ(笑)。井伏は、
わざとそうしていたのではなく、全然気づかなかったのですね。なにか、もの思いにふけっていたわけですね(笑)。
これを見た山下将軍が怒った。「ばか、ばか。貴様のようなやつは、国に帰れッ。ばか、ばかっ」と怒鳴ったときには、室がゆがんだように見えたとか。将軍は、そのとき、栄光の頂点にあったわけで、こんな無礼な人物がいるとは夢にも思わなかったわけですね(笑)。
「こんな者は追い帰せッ」と言ったな(笑)。それで、内地へ帰してくれるかな、と思って、「ハイ」と言ったんだ(爆笑)。その自分の声が、ちょうど僕が子供をしかると、子供が答える「ハイ」という声と、そっくりなんだ。で、ますます情けなくなった(笑)。将軍の左右に、背の高い参謀がずらりと並んで、ひげを生やしたのは、ひげをひねっていたな。僕は、劣等民族のような気がした。安岡章太郎との対談では、戦時中、電車に乗っていて、宮城とか参宮橋などに近づくと車掌が敬礼しろといった話が出てくる。
みんな変だと思っててもそれに従わざるを得ない。この半狂乱の空気ね、そういうものに一人で対抗出来るというものがあるとすれば、それは文学だろう、と思いました。つまり自分の文章というものがあると、その中で安住できるというものがある。と安岡は云う。
太宰治が徴用から”落ちて”、口惜しがって泣いたと書いているのを『芝居をするからな。本当は喜んだでしょう』と一刀両断の師匠だ。
永井龍男が初めて志賀直哉の奈良の家に行ったときのこと、
(井伏) そのとき、あんたがこっそりうしろへ行って、志賀さんの匂いを嗅いだとか、、、。文壇の時代だったのだなあ。
(永井) 志賀さんが座敷を通るたびに、志賀さんってどんな匂いがするのかと思って、、、そういうもんだったなあ、志賀さんって。
先輩、後輩、友人たちと懐かしい思い出噺のなかに出てくるゴシップが実におかしい。
抜きたい箇所だらけ。
作家たち、まるで子供のようだ。
真剣勝負の子供たち。
開高健との爆笑釣談義、爆笑と言っても機知にとんだやりとりなのだ。
井伏の旦那の飄々とした、ちょっと体をかわすようなやりとりは、ここに引用してもその味は分らない。
対談の席に同坐しているつもりになって、その場の空気を想像しながら読んで少しわかるような気がする。
尾崎一雄や河上徹太郎など肝胆相照らす友との対談は彼らの文学の秘密を解き明かすふうでもある。
フィクション作家としての井伏とノンフィクションの尾崎。
せっかく持っている井伏鱒二自選全集を読みたくなった。
新潮社
桃源郷で遊ぶ仙人たちの様ですね。すごいなあ〜
昨日の根津のせんべい屋さん、
昔行った事があるような気がして気になっています。
デジャヴなのか、夢の中だったのか。
三十年ほど前、東京の下町で迷子になった事があるのですが、
それが、根津だったのか浅草だったのか、どの辺りか全く覚えていないのです。
手焼きのせんべい屋さんで、道を聞いて、せんべいを買った記憶だけがある。
写真の店構えをみて、ああ、ここだ、という気がしました。
不思議な気分です。
でも 読みたい。
でも読みます^^。
若い頃は対談はかったるいような気がして読みませんでしたが、今頃になるといろいろ感ずるところがあって楽しいです。