イスラム国はつぶせても 元シリア大使が語る 国枝昌樹「イスラム国の正体」
2015年 01月 20日
イスラム過激派の系譜やイスラム国ができた背景の説明、とくにアフガニスタン紛争に起源があること、ソ連撤退後の湾岸戦争によって、アラブ世界の指導者がアメリカの言いなりであることが明白になって、反米が彼らの目標になって行った経緯など。
アメリカの介入・失政の結果生まれた混乱や権力の空白をうまくついて大きくなっていった。
イスラム国が従来の過激派テロ組織と違う点として次の三点をあげる。
①「国」を名乗り、領土を主張し、行政を敷いていること。
②インターネット上で効果的にメッセージを発信していること。
③欧米人を含む外国人の参加が多いこと。
イスラム国の首切りに象徴される過激派の残虐性、それは「憎悪」や「恐怖」が増幅しているのかもしれない。
人の命を奪うこと、殺すことについて、それを思いとどまらせる心理的敷居が低い社会情勢もある。
しかし、日本でも15~16世紀の戦国時代、武士たちは敵の首を切り、主人の前にさし出して褒美をもらっていた。
15~16世紀のメンタリティーの日本人が、21世紀の科学技術をもったらどうなるかと想像してみます。それがいまのイスラム国の姿なのでしょう。極めてアンバランスで、しかしインパクトがあって、非常におどろおどろしい状況が生まれます。と筆者はいう。
奴隷制もそこからくるらしい(一方でコーランには奴隷を解放することが最も価値ある善行だとも書かれているのだが)。
本書にはイスラム国の領土、人口、兵力、資金、行政組織、キリスト教徒に対する布告(人頭税を納めることで保護するなど)や裁判・教育などについても紹介されている。
イスラム国は軍備も資金も十分にあり、食糧やエネルギーの心配もないようだ。
昨日紹介した「イスラム戦争」にも書かれていたが中東の各国の利害対立関係は錯綜して、しかも変化している。
そこを怜悧に見極めないまま迂闊に手を出すと火傷をしそうだ。
またアメリカのイスラム国に対する空爆のように国連安保理の議論のみならず、シリア政府の事前の同意すら得ようとしないやり方は、将来的に際限なく介入が拡大され、その際の「恣意性」が懸念される。
しかし、「ファルージャの戦い」で抹殺したと思っていたアルカーイダが生き残っていたばかりか、勢力を回復して堂々たる存在感で今に至っているように、イスラム国も「国家」はなくなっても人材は残り、いつか勢力を回復する可能性がある、という。
政治体制や治安がしっかりして、みんなが安心せ居て生活し、不安のない経済・社会情勢が実現したときに初めて、社会の中で過激派を封じ込めることができます。まさに、その点において今までのアメリカ主導の過激派対策は逆のことばかりやってきたのではないか。
筆者は「イスラム戦争」の著者・内藤と違い、トルコに対して、「エルドアン政権の本能寺はアサド政権、アサド政権打倒のために、すべてを判断・行動している」とみる。
そしてトルコ寄りのフランスのオランド大統領が「2年前にアサドを倒しておけば良かった」ということも、「じつに危険な見方だ」と批判する。
その理由は、カダフィを倒した後のリビアが、いまだに統治機構が定まらず、反体制派がお互いの利益を追求して際限なく争い、内戦状態になっている、それと同じ状態がシリアにも起こるからだと。
(「民主主義国家」というものがどこにもない)アラブ世界の問題の本質は、白か黒かの二元論では理解できません。二元論で解決策を求めようとすることは危険ですらあります。アラブ世界の現実と正面から向き合い、解決の糸口を模索することしかありません。(略)これが本書の結語だ。
あえていえば、よりマシな「独裁政権」とつき合う現実的な覚悟が、当面、国際社会には必要というべきなのかもしれません。
そうだとしたら、もっともっとアラブ世界についての勉強を深めないとアラブ世界の現実を見誤る。
朝日選書
余談ですが、酔っぱらって近くの果物屋で買ってきたイチゴの銘が「きらぴ香」(キラピカ:JA静岡経済連)でした由。
こうなることも想定内だったとしたら許せないし、想定外だったとしたら一国の首相として落第ですね。
同感です。
地球を俯瞰する外交とか何とかいいながら、肩で風切る気分で廻っていたのでしょうか?
トップセールスの気持ち??
セールして売り歩く色々・・・。