75歳小三治が子供になって凧をあげた 第558回「落語研究会」
2014年 12月 26日
さん弥「雪とん」
こんどの3月で苦節15年、めでたく真打昇進のことをマクラに振って、うれしそうだな。
『暇でしょうがないから』ってンで隠居のところにふらっと遊びに行く八ッアン。
隠居と俳諧でバカ言って楽しむ。
バショー?金原亭?とか、
初雪やタコの足跡藤の花だとか他愛もない。
猫の子のこの子の猫の子猫の子猫この猫猫子猫
お年寄りを大事に、とか福祉だとか言う以前にそういうコミュニティがあればどんなにいいか。
そうなるために、隠居の方も俳諧くらい嗜まないと、徘徊じゃダメよ。
三之助「朝友(ともふさ)」
小日向に住む松月堂の娘おふさと文屋康次郎が地獄で出会い、いろいろあってよみがえる。
六歌仙の一人、文屋康秀が日向の国の松月朝友(ともふさ)の体を借りてよみがえった故事を下敷きにした噺、初めて聴いた。
あの世で目が覚めて、「俺は死んじまっただ。天国いいとこ一度はおいで」とは言わなかったが、「こんなにいい気持のものか」と、閻魔大王に逆らうと、「ぶち生かす」罰が待ってるくらい。
一目ぼれの二人が恋わずらいの末にあの世で結ばれる。
閻魔さまのまえに呼びこまれるのは、粗忽長屋の熊(抱いている俺がどこに行ったか分からない、なんていう)、山崎町の西念など懐かしの面々。
あちらの落語研究会の顔付けは歴代小さんがずらり。
サゲは分かりにくかったが楽しい噺だった。
三之助はちょっと風邪気味だったかな。
暮れの定番、今年は初めて遭遇。
大ネタだとばかりに張り切って盛り上げる「芝浜」にはいささか胸焼けがして引いてしまうのだが、鯉昇はさらっとメリハリもつけて好演。
ノンベイの勝が拾った財布は、ありゃ夢だといわれて夢から醒めたように突然いい人間になって酒も止め働き出すのはフツー人間としてアリエナイという考え(談志の持論だった)のもと、「いやいやながら働き出して、、その内もともと腕が良かったから仕事が面白くてしょうがなくなった。酒も飲みたかったけれど、いつしか呑む癖がなくなった」というような説明をしていたが、これは不要だと思う。
理屈をいいだしゃ、吠えた赤犬は二日目には吠えないかもしれないし、草鞋だって濡れているかもしれない。
酔っ払いでも仕事の腕があって、イイ女房がいて、その女房を大事にして、出世した、めでたしめでたしでいいじゃないか。
そもそも即興の三題噺、そう向きになって”解釈”しなくてもいい。
大晦日に畳を替えるところでは青畳の匂いを感じる。
遅くなると銭湯が汚れてドロドロになるぞ、などと言うセリフで子どもの頃を思い出してイイ気分だった。
金時「不孝者」
遊びに行ったきり帰らない道楽息子を大旦那が権助に変装して迎えに行く。
布団部屋で待たされていると、部屋をまちがえて入ってきたのが昔ワケアリだった芸者。
新しい旦那も持たずにいる芸者は男に捨てられたと思いこんでいるからよそよそしい。
破産しそうになって、云々カンヌン、男の事情を聴くうちに心を開く。
焼けぼっくいに火がついて、、。
三味線の音をバックに、しみじみとした男女のやりとりの妙を聴かせる、
はずの噺だったが、若すぎて道楽息子みたいな大旦那、味がない。
これではせっかく火がつきかけた焼けぼっくいも燃え上がらない。
小三治「初天神」
17日に75歳になった、といい保険証や運転免許の高齢者講習のことなど。
アクセル、ブレーキが出てこなくて「前進ペダル」「ストップペダル」などと言い淀み「この話、よしましょう」をなんどか。
この前聴いたときもそうだった。
もしかすると、これはシャレ、”後期高齢者の落語、そのマクラ”を開発途上なのかもしれない。
あまり、面白いとは思わないが。
おっかあおっかあ、羽織を取ってくれ!おっかあが羽織をすぐに渡さなかったばかりに金坊が帰ってきて初天神についてくる。
にくったらしいけど可愛い金坊、腹をたてても金坊がかわいくてしょうがないおとっツアン、似た者親子。
すっかり子供に戻って凧揚げをする父ちゃん、好い家族だぜ。
滋賀のお祖父ちゃんの家で年越しだってさ。
鯉昇の「芝浜」、以前座間で聴きましたが、三木助版を踏まえているのでしょう、実に結構だった記憶があります。
日本橋も、なかなか楽しかったですよ。
師走の落語も、数えるばかりですね。
いいお年を、なんて言わないでまだおいでくださればウレピイ。
ナマコはどうなのかな。
明日はさん喬・権太楼です^^