いくつになっても酒は楽しい 吉行淳之介 編「酔っぱらい読本・壱」
2014年 10月 28日
しりとりしよう あなたからといって来た。
一年生、対等ではつまらないので、俺は食い物に限ることにした。
ねぎ、「ぎが」、ガム、「むひ」、ひらめ、「めか」、かに、「にんにく」、栗饅頭、「うきわ」、ワサビ、「びり」、りんご、「ごりら」、らっきょ、「きょうし」、しじみ、「みす」、す、「すみ」、みそ、「そら」、ラデイッシュ、「しゅみ」、みみがー、「がき」、キノコ、「ここ」、米、「メキシコ」、こい、
かっこ内がはあちゃん。
「ギガ」「メカ」なんて今の子だなあ。
「み」とか「こ」で攻めるなんて知恵も付いた。
勝負は九時、寝る時間になったので引き分け。
学校のある時は8時前で終了だ。
事情ありげにバッグからメモ帳を取り出して眺めているおっさんもいる(俺もやったことがある)。
なにか思案しているようだが、なに、もう一杯呑もうか、隣のおっさんに話しかけるきっかけがないか、てな事しか考えちゃいない。
今は携帯の人が多い、話し相手がしても携帯だ、携帯に酒つぐなよ。
こないだは友人にメールしたら、旅先で一緒にいた人から電話がかかって、同席していた連中が次から次に代わっちゃあ馬鹿を言い合った(俺はもちろん外に出て)。
そこをピタッとやめて帰るのがベテラン、治にいて乱を忘れず、なかなかの達人なのだ、我ながら意思の強さにほれぼれする。
こうやって自制出来るんだし、やろうと思えば禁酒日も作れる(作れた)。
これはアル中ではなかろう(ないに決まってる!)。
ところが先日のように突然の電話で盛り上がったり、妙齢が「こんばんは~、ここ座ってイイですか」なんて来ると、やばいのだ。
今まで一本も飲んでいなかったような気になるのだ。
ここから素晴らしい新世界が始まるような。
よし、がんばろう!って気合いが入るのだ。
イタコ一枚、落ちないようにしなければと思っている今日この頃だ。
昭和53年に買って一度は読んだのだが、今また目を通すと初めて読むように面白い。
フィリップ・アリンガムの「星占いから見た酒の飲み方―占酔学入門」ってのが中田耕治の訳とも相まって傑作。
俺は魚座、
おっと、刺身のいいのはねえかい?まぐろの、、ウン、中トロンとこでも、、威勢よく一杯(ぺえ)キューッと引っかける。魚座の男衆(おとこし)は、いなせなもンです。間違っても、チビチビ飲んで、ご飯を食べるってえと、ゴロッと横ンなって、肱枕で、高鼾なんてザマをさらすような性分じゃない。だってさ、「鰯のくさッたような眼」だってよ。
ただ、お酒が入ると眼がトロンとしてくる。ひどいのは、鰯のくさッたような眼になっちまう。が、足をとられるような不様なこたァない。惚れた女にフラれた傷心(ぶろーくん・はーと)の繰り言もたまには口にする性質(たち)だが、たいていは聞き上手。
酒となると、水を得た魚みたいになる。(以下割愛)
試してみよう。
「二日酔い」になったら、キングズレー・エイミス(吉行淳之介・訳)が「二日酔い」と題して、「形而下的あるいは肉体的二日酔い」と「形而上的あるいは精神的二日酔い」の両面から読むべき書物、聞くべき曲目までを教えてくれるているから大船に乗ったつもりで。
もっとも、「二日酔いの完璧な治療法」として三つ挙げているうちのひとつが「無蓋(オープン)の飛行機に乗って三十分空中に舞い上がる。言うまでもないが操縦は二日酔いにかかっていない人にやってもらう」であったりするのだから後は推して知るべしなのだが。
この本、「弐」も出ているのだが我が家に無い、もしかすると二日酔いのときに喰ってしまったのかもしれない。
講談社
嘗て、読んだような気がするのですが…
面白かった、という読後感だけがあり、内容はまったく憶えていない事に気付き愕然としています。
記憶が、酒に溶けてしまったのかもしれない。
もう一度、読みたいです^^
メールしりとり、いいですね。
「ぎが」には、びっくり。
佐平次さん又いっぱい行きましょ♪
「むひ」?「めか」?とか 何でしょうね。可愛いですね。
戯画ではないと思いました。
「メカ」だと思いますよ。
なんか判るような判らないような、、。
落語の趣さえある名品です。
一時よく読みました。
読み直してみるかな。
ぜひ行きましょう!
座興ですね。
昨夜、人と酒を飲んだが、美味くもない飯で美味くもない酒、
相手は勝手に酔っぱらう。、
気がつけば深夜過ぎ、そいつを捨てて帰って来た。もぉ金輪際・・・、しかし仕事で繋がってんねんなぁ
そんな酒は嫌や ;;
この本をなぜ「絶対に」読まなければいけないのでしょうか?