雨のベルンから光と闇のリスボンへの旅 映画「リスボンに誘われて」
2014年 10月 17日
再確認なんて珍しいことをしたのは虫の知らせか。
家を出る前に投稿したブログに「めくら桟敷」と書いたのに気がついたが電車の中では手も足も出ない牢桟敷也。
指定券を買ってちょっと時間があるので東急や地下の本屋を冷やかす。
読みたい本を写真にとって図書館に予約するのだ。
ナツカシイッタラナイ!都電だぜ。
映画は「リスボンに誘われて」。
スイス・ベルンの橋の上から身投げしようとしたのを救った女(落語「文七元結」を想起する隠居也)が赤いコートのポケットに忍ばせた一冊の本。
それが、深夜一人二役でチェスをする、渋いけれど俺が授業を聴きたくなるような教師(「マルクス・アウレリウスが哲人であって皇帝でもありえたのは信条と行動が一致する時代だったから」みたいなことを言うのだ)の心に火をつけた。
最初から雨のシーン、その後もリスボンに降る雨のシーン、傘は女を助けるときに川にとんでしまったから濡れるばかり、それがこの映画の魅力の一つ。
飛んでいく傘は象徴。
先生はやりかけた授業もほったらかして、動き始めた汽車(ほんとは電車?)に一人飛び乗る。
本の著者を訪ねて手には赤いコートと本だけ。
美しいリスボンの町並みを背景に著者の過去の秘密を探るセンセ、出会う人々の造型がいい。
革命と恋愛、危機一髪・一触即発のドラマだ。
赤軍派の連中のことなどもちょっと考える。
燃え盛る青春の火・ドラマが明らかになるに従い先生は彼らの物語を追体験しているように目に力が宿り自然な笑みが湧いてくる。
彼らが輝けば輝くほど、自らの半生の平凡・退屈さが痛切に感じられる。
俺は又ベルンに戻るのか。
信条と行動の乖離をそのままにしてボアな余生を過ごすのか。
傘を買うのか。
ラストシーンで問いが投げかけられる。
エレベーターの中で「あれから彼はどうするんだろうね」「それを考えるのが楽しいね」とオバサンたち。
貸しタオル、シャンプーがフリーだから手ぶらOK。
又身につまされる映画だった。
見るもの読むもの身につまされる隠居、多感なのだ。
私は、この映画を見た後、赤ワインでも飲みたい気分だったけれど、
ワインを飲んで酔っ払ったら、
ホントに何処かに行ってしまいそうだったので、蕎麦屋に入りました。
生山葵をのせた熱い蕎麦と、冷や酒を一杯、飲んで帰りました。
山葵の香りが、私を日本の日常に連れ戻してくれました(笑)
でも、一瞬、パソコンのIC基盤かと思っちゃいました。(^^ゞ
行かなくては。
マストロヤンニが主役の、「供述によるとペレイラは」(アントニオ タブッキ著 須賀敦子訳 映画はYouTubeで見られます)を、思い出しちゃったりです。泣けてくるです。
桜新町のサザエさん通りに開店です。
プラネタリユームや映画館、東横線のホーム、大盛堂ももっとちゃんとした本屋でしたね。
少し早めに行くとイイのですが、現役の方には無理かな。
しつこそう。
「リスボン行きの夜行列車」が原作ですね。
読みかけて途中で止めてしまったので最後は知らないのです。ちょっと文章が読み難くて。。。。いつか最後まで読めたらいいなと思っているのですが、最近そんな本ばっかり増えていきます。
映画は良かったのですね。
詩的な文章、映画だとゆっくり玩味してる間がないんですね。
そこが原文も晦渋だったのかな。
それほどでもないかな。
仕事も生活も放り出して、とてもあのようなことはできないと私の友人たち。ということは、願望があるということかと^^
でもこの映画はそこがポイントなんですからやっぱり気になります^^。