季節の花がこれほど美しいことに歳をとるまで少しも気づかなかった
2014年 09月 28日
今まで背景に過ぎなかった緑の壁をつきやぶるがごとくに一斉に顔を見せる。
まったく今朝まで気がつかなかった金木犀。
思わず近づいてみればまぎれもなく。
なぜだろう香りはこれからか。
季節の花がこれほど美しいことに楊姫銀の詩を読んで曲と日本語訳をつけたのはさだまさし。
歳をとるまで少しも気づかなかった
美しく老いてゆくことがどれほどに
難しいかということさえ気づかなかった
もしももう一度だけ若さをくれると言われても
おそらく私はそっと断るだろう
今の気持ちにぴったりだ。
ここに続く
若き日のときめきや迷いをもう一度というところも。
繰り返すなんてそれはもう望むものではない
繰り返したいことは夢に見ることにしよう。
そういう夢の見方は村田喜代子さんに教わったことだし。
BGMに陽気な沖縄民謡が流れる中に、音を消したテレビニュースが御嶽さんの噴火の様子を繰り返し写し続ける。
その対比が「突然真っ暗になってしまった」という遭難者の言葉の恐ろしさを痛感させた。
どれもこれもウマかったよ、ほんとに、ジャガイモがこんなにうまい物だとはこの歳になるまで気づかなかったよ、ありがとう。
この一行、いいですね。
洒落た感じと、粋な気合のようなものが凝縮されていて、
ちょっと色気を足すと、都々逸になりそうですね。
愛すべき佐平次節に、座布団一枚、いや3枚!
そういうことは歳月を重ねないとわからないのかも知れません。
それにしては金木犀の時間が長いように感じるのはあちこちの花が時間差攻撃なんですね。
美ヶ原でしたか、いいところですね。
生きているうちに参列したいものです。
花は気付かせよう。と、してくれているのかなあ。
家の金木犀、開花を目前にして厳しく剪定されてしまいました。もう自分では出来ないので仕方ありません。
もう一度と近寄ってみるともう匂わなかったり。
我がマンションの玄関にも金木犀があるのですが、日陰のせいかようやくちらほらです。
長い長いブログでした。
この歌は岩崎宏美も歌っていますよね。
実は、私はラストノートに、岩崎宏美のこの「人生の贈り物」と「いのちの理由」を葬式に流してくれと書いてあります。
歳をとらなければわからないこともあるということでは、歳をとるのも悪くはないのかなあと、ふと思ったりします。
そして、並んで座って沈む夕日を一緒に見てくれる友がいれば他に何も望むものはない。
確かにそうだよなあ・・・と思います。
その友も昨年逝ってしまいましたがね。
私は、花とは一期一会だと思っています。
この曲私も大好きです、なかなかコンサートでは歌ってくれませんが、本人も大すきな曲のはずです。
さださんとお父さんとお母さんが出会ったところが中国ということで、彼は中国のことをよく知っています。
きんもくせいの季節ですね。
花の美しさに気づいたsaheiziさん、良かったですね。
にんじんしりしり、とうふよう、じまみー豆腐沖縄の食べ物って魅力的です。
奥様と素敵な晩ご飯でしたね。
そんな友人、なかなかいないです。
私はゴーヤチャーハンというのを、、これもうまかったですよ。
花ってやつは・・・、いいえ、自然は偉大で静かに営んでます。
たまに、腹たててえらい目にあわされますけどね、
ほら、どか〜んってね、人はもっと謙虚に生きなあかんのです。