歌丸はなぜ人間国宝になれなかったか 桃太郎&三三&喬太郎
2014年 08月 08日
あ、俺も顔を憶えられたか、と挨拶を返そうとしたら、「オハヨございま~す!」明るい男の声が後ろから。
振り返ったら小沢一郎、手を振りながら通り過ぎて行く、俺は喉まで出てきた「おはよう」の返事を小沢の後ろ姿にぶつけた。
「おはようございます」さっきより低い声で小沢が答えて行った。
サンチはそんなこと関係ないから走ってきたトイプーにじゃれていたけど。
「オレンジ世代 応援宣言 大爆笑三人会」、夕刊フジの主催。
人形町に来るのも久しぶり、水天宮が跡形もなくなっている。
明るくいい声で楽しくやった(途中まで)。
ついで出てきた桃太郎「春雨宿」
芸協は今の音助など二つ目・前座、若いもんがしっかりしてますよ、といって自分が故郷の小諸を出て6時間、憧れの東京に出てきたこと、高校時代の軽井沢でのアルバイトのことなど。
昨日、ブログに長野から山梨に行ったことなどを書いたばかり、桃太郎の高校時代の懐旧譚にリアイリテイを感じた。
おい!君塚温泉てまだダイブあるか?山奥の温泉を訪ねてその支店でケメコ(君子の訛り)さんたちに散々からかわれる噺。
秋田音頭の秋田訛りだかなんだかが傑作。
長野の訛りが抜けない桃太郎には似合いの噺。
爆笑というより飄々と笑わせる。
またチェーン店が入るのかな)
三三「笠碁」
短いマクラですぐにネタに。
碁仇が「待った」「待たない」で絶交に至るまでを丁寧に説得力のある演じ方。
こういうものはね、自分だけ良ければいいってもんじゃありませんよ。たかが囲碁、されど囲碁のために人生訓まで引っ張り出して半生を総括してみせる。
わがままァ?わがままですよ、ず~っとワガママすよ、子供の頃からワガママで通ってます。
俺も囲碁には凝ったことがある。
といっても若い見習い時代、昼休みに折り畳みの碁盤を出して40分に5~10番、あれをしも囲碁というのか。
年を取って余裕ができたら人生の趣味にしようなんて解説書を買って読んだりもした。
転勤の餞別に立派な碁盤と碁石セットをいただき引っ越しの度に持ち歩いて今でも何かの台になっている。
頭を使う遊びはみんなダメ、体を使う遊びはもっとダメなのだねえ。
後半、相手がいないで無聊をかこつ二人の描写、美濃やがカミさんに傘を貸せ、買い物に行くから駄目といわれて
じゃ訊くよ、碁と買い物とどっちが大事だと思うのか!?、、(間の後、小声で)買い物が大事だな一方の隠居も退屈のあまり小僧や孫に当たり散らす。
アンちゃんと妹のうるさいケンカ、気が利かないようで皮肉な番頭、当の人物は登場させずに隠居のセリフで彼らの表情や仕草がまざまざ。
こりゃ、じれるよ、俺だって。
けっこうな出来でした。
この会は今まで練馬の会場だったそうで、練馬から人形町へのあまりにも急激な変更について、人形町をもちあげ練馬をバカにしないようでかなりバカにして笑わせる。
こういうのは喬太郎の得意技。
窓際、何の仕事もできないがひたすら会社にしがみつく哀れなサラリーマンに起きた不条理な出来事。
机に手がくっついて離れない!、ゴドーが来ない、待つんだウラジミール、今朝ママンが死んだ、、暑さが原因だった。
面白かった。
ポロシャツに着替えた桃太郎が司会。
歌丸が(噂はあったのに本人も嬉しそうだったのに)人間国宝になれなかったワケ(病み上がり、笑点)。
小三治が昔大喜利に出て大うけだったこと。
喬太郎が理事になったことから理事についてのいろいろ、会長の(人間的)資格、ある会長の極秘スキャンダル、さん喬が恒例のアメリカ旅行にことしも(ゼッタイいかないと言っていた)左龍を連れて行ったこと、3代目柳家三語楼はなぜ小さんになったかなど、ポンポンとイイ間で話が弾み、けっきょく最後まで(20分ほど)笑っていた。
そんなこともあり、あんなこともあり、でどこへも寄らずまっつぐ帰宅。
昼間買っといたサンドウイッチ一切れと大福餅を食って寝た。
建て替えるんですか?
「ぺたりこん」好きです。悲哀がありますぬ。
歌丸師匠は、一度だけ聴いて、かなりがっかりしました。すきずきなので、あくまでも私はです。テレビずれしていて、噺も普通でした。
さん喬さん
最近お気に入りです。
だいぶ前に演舞場の近くに仮社殿ができていたのですが、本社殿を取り壊してからは初めて行きました。
面白いときも蛇足のときもあります。
マタニティ衣料のお店も閉店ですか。
まだ新しい戦後の鉄筋コンクリの社なのに?
どんな社に生まれ変わるのか楽しみなような、変な意匠を凝らされたら残念なような。
そもそも、水天宮には誰が祀られていて、どうして安産の神様なのか、どのくらいの人が知ってるんでしょうか。
マタニテイの店はだいぶ前から閉店してましたね。
喫茶店でバイトをして女優とか作家・政治家などが来た。
昔、自分にとって東京は夢のような憧れの場所だったけれど軽井沢は近さもあってさほどの場所とは思わなかったなどと。
落語、笑って過ごす時間すごく良い時間ですね。saheiziさん、「春雨宿」では小諸、長野、山梨、秋田。次いで「笑碁」では陣取り戦、オセロゲームに夢中だった事。「ぺたりこん」ではウラジミールに反応、スラブ人男性を思い出し、最終ロシアのウラジミール・レーニンに行き着き、saheiziさんのブログは私に大きな刺激ありで、自分の世界に取り込み、楽しみが広がります。
米朝は話芸はもちろん、戦後の上方落語を再建した立役者なので国宝は妥当です。
小さんは文楽、志ん生、圓生亡き後の東京落語を背負ってきたわけですし、滑稽落語でありながら「引きの芸」という一つの型を編み出した功績でこれも妥当。
これ位にしておけば良かったのではというのが率直な思いです。
のり平が塀伝いに歩くところ、目をぎょろぎょろさせるところが目に浮かびますね。
能や狂言などは順番みたいな感じもありますね。
寄席山じゃない、与世山、いいですね^^。