シンシンの夜はチクチク飲んでオレはオレに優しくしてやる 坪松博之「壽屋コピーライター 開高健」
2014年 07月 05日
俺も日本酒になじんでいた、当時は二級酒。
近所のおじさんが大学入学のお祝いをしてくれた時も「雲山」という長野の酒を呑んだ、18歳。
それが大学の寮の歓迎コンパ、筵を引いたうえで車座になって、猥歌をがなりながらがぶ飲みしたのはトリス。
イイ気持になって長い廊下を便所(トイレとはいわなかったなあ)にいって帰ってヨッコラショと座った途端、マーライオン、そのあと先輩のベッド(まだ入寮してはいなかった)に呻吟、長野から上京した母を迎えにも行けなかった。
都電の中にビールのポスターがぶら下がっているのを見ただけでむかついた。
思えばそのあたりからウイスキー、開高健との併走が始まったのかもしれない。
トリスバー、もっとも家庭教師の後寄ったバーはオーシャン・ホワイトだったか、天ぷら早大生が号泣して嘘ついていてごめんなさいと言った。
そういえば「号泣」、もらえるものはみんな給料のうちと錯覚(社用で呑む連中も同罪)してたあいつはホントに号泣という言葉の使い方が正しい、ほろっと涙ぐむだけで号泣と書くメデイア。
大阪の大学で授業料も払えず7歳年上の牧羊子と同棲、授業料もへそくりから払ってもらい、壽屋への就職も牧が佐治敬三に「ダンナ失業しましてん。壽屋でやとてちょうだいな」と談判して自分が退職するバーターの結果(牧は佐治の設立した食品化学研究所に所属していた)。
ミルク代稼ぎのために入った壽屋は開高のライフワーク、佐治敬三とは戦友、無二の親友となり佐治は開高の病室、葬儀、文学碑の序幕式でも”号泣”する。
それにしても開高、山崎隆夫、柳原良平、山口瞳、坂根進、、この頃のサントリーは(その前の片岡敏郎もすごいが)まさに梁山泊、あふれる才能とアマチュア精神を武器にしながら日本の広告の地平を切り開くすさまじい集団だった。
山崎部長が
ほん機嫌よう遊びなはれとクリエイター一人一人が自由に力を発揮できるように、しかも細心・繊細なコミュニケーションを図っていた。
山崎自身が偉大なるクリエイターでありプロデュ―サーでもあった。
ふと今回新社長にローソンの新浪氏をスカウトしたことの前途が不安になるほどの奇跡的集団だった。
コピーライターとしての活躍、ビールなどの新商品開発プロジエクトとのかかわりと作家としてのデビュー、芥川賞受賞、作品の変化などを要領よく作例・写真や引用を交えて解き明かしていく。
コピーの変化も面白い。
トリス、レッド、ホワイトラベル、角瓶、オールド
「パニック」「裸の王様」「日本三文オペラ」「輝ける闇」「ロマネ・コンティ・1935年」、「最後の晩餐」、「書斎のポ・ト・フ」、「もっと遠く!」、「オーパ、オーパ!!!」、「珠玉」、、
ああ、かくのごとく人生は過ぎて行った!
BGMは
小林亜星が上智大学の牧師に歌ってもらった。東條忠義企画。
東條と開高の関係も奇跡かな。
「人間」らしくやりたいナ、
シンシンの夜は人間らしく、、ナ。
チクチク飲んで
オレはオレに
優しくしてやる
そうすることに
してある
チクチクとナ
トリスでナ
たる出版
サントリーの販促用小物が手にはいると得意でした。
洋酒天国が面白かったなあ。
たまに友人がアルバイト先からオールド(だるま)でも貰ってこようものならみんな大騒ぎでした。
こうして返信が出来るのが不思議なほどです^^。
「夜が来る」 しみじみと耳の中に溶け込んでいく曲ですね。
口笛の前のスキャットみたいな歌声は、神父さんの声なのですか?? まさか!