何のための苦しみか B君を偲んで熱弁をふるった
2014年 05月 21日
かつての”戦友”、37歳で亡くなって24年、毎年仲間が集まって偲ぶ会をやっている。
Bちゃんも生きていれば還暦かあ、自分たちも古稀や還暦の生きてる男たちが遠い目になる。
水道橋のお寺に参ってから会場に行く。
お墓ではなくてお墓の映像が現れてそれに向かって焼香をするのだ。
食い物屋と古本屋が多い。
俺はなぎら健壱の「東京の江戸を遊ぶ」、新本自由価格300円(定価840円)を買う。
このところ古本を買ったりしているのは図書館主義の枠を”本を買いたい!”衝動が突き上げている。
あれだけ吸っていたタバコは止めて25年、びくともしないのに、本を買いたい中毒はシツコイ。
仲間の一人が社長なので、彼に持論をぶちあげる俺は酔っていたなあ。
酔っていたけれど間違ったことを言ったとは思わない。
先に逝ってしまったB君のためにも無粋を承知で頑張る隠居也。
苦しい労働であってもその労働の先に目指すものがあってそれが共有されていなければならない。笑いもあり涙もあり、大いに酔っぱらってふらふらと帰った。
数字合わせの待遇切り下げ、要員減らしだけでは人は動かない。
感動がない現場には安全もない。
頭ばかりイイエリート幹部を天下り的に現場責任者として投入して数字を作らせるのは最悪だ。
今朝は自律神経がめちゃくちゃ、とうていストレッチをする気にもならない。
今日は買いませんでしたよ。