借金の極意とは 半蔵門と人形町を結んだ居残り会 第550回「落語研究会」
2014年 05月 01日
拾い物をしたような駅までの2300歩。
行先は国立小劇場、落語研究会。
三木男「猿後家」
なんでいい年をした男が、問われてもいないのに、いつまでも恥ずかしげもなく己が血筋(三木助の孫)のことをいうのか。
しゃべりがたどたどしいから、源さんが女将さんの前で口を滑らせて禁句・「猿」をポロリも当たり前と思える。
一之輔「加賀の千代」
借金をするコツ、必要な金額にかけ値をして申し込むと値切られても足りる。
そんなやり取りを聴いていたら、借金の芸術家・百閒の「マジメに節約したあげく生活に困ってする借金くらい始末に負えないものはない。一番望ましいのは遊興費に使う借金だ」という言葉を思い出した。
君は少年を見たか?だ。
え、分からない?
Do you see the boy?
ずうずうしいぜ、おい。
図々しくなくても甚兵衛さんみたいなのも巧まずして借金の上手だ。
雲助「庚申待ち」
ホワイトデーとかハロウイーンなどという腹立たしくも無意味な行事より昔ながらの日本の行事を大事にしてほしいもんです、と言って、「庚申」の夜は寝てはいけない、マグワッテもいけないという古来の行事。
マグワウ、なんのこっちゃとは言わない研究会の客たち。
人々が集まって徹夜で語り明かす。
辻斬りが茶飯屋のお櫃を斬って「茶飯切り(試し切り)」。
力持ちで美貌の百姓娘が鋲打ちの籠に乗る出世をした訳は、やっつけたムジナ汁を一人で食って「女むじな食って玉の輿に乗る(女氏なくして玉の輿に乗る)」。
「太鼓餅(タイコモチ)をちぎっては砂糖(座頭)をつけて食う」。
入れ替わり語る噺、まじめな噺かと固唾をのんで聞けば、なあに、みんな落とし噺なのだ。
語り手の違いがくっきりと、一つの落語の中に入れ子が四つ、マトリューシカの味わい。
四つというのは最後の噺が旧悪を告白・自慢するというのがあって、泊り合せた万事世話九郎なる侍に親の仇と脅される、「宿屋の敵討ち」さながらの展開があったから。
終わって中入、席を立つとき後ろにいた人が「ヤドカタだね」と、変な略し方をするなって。
鯉昇「かぼちゃ屋」
黒の紋付、静かに語りだすのはいつもの通りだけれど、マクラは短め、ネタもおかしくはあったものの、少しおとなしく盛り上がりに欠けた。
落語研究会の魔力?
志ん輔「付き馬」
ドングリみたいな髪型で登場。
力が入っていたのか飛ばす都バス、じゃない飛ばす。
前段の妓夫太郎との駆け引きも妓夫太郎が迷う間もない。
翌朝、喋りまくって妓夫太郎変じて付き馬を引っ張りまわすところも、デパートの催事場でペラペラ売り込む男のようで、もう少し遊びなれた陰影のある男にしないと薄っぺらになってしまう。
湯豆腐を食ったり銭湯に入ったり浅草寺の境内から仲見世を歩く、その行程を聴いている俺たちにも臨場感を持たせて、「ああ、いいなあ、遊興の後の朝のそぞろ歩き」みたいな気分が欲しいのだ。
朝の空気、風呂上りの肌の清々しさ、熱燗の匂い、日を浴びて光る鳩の羽、ぶら下がった玩具の彩、、そんなことどもが口に出さずとも想像されるような噺にしてほしいのだ。
それを都バスではつまらない、せめて鳩バスで行ってほしかった。
なによりも早桶屋に妓夫太郎のことを「頭が変になっているから」と言うのを落としたから、さいごの妓夫太郎と早桶屋の双方の誤解に基づく爆笑会話が盛り上がらないのだった。
せっかく時間も取ってあったのに、25分という超特急だったのは残念だ。
こちらは半蔵門なので帰りのことを考えると半蔵門で飲む方が順当だったが、なにしろ研究会が終わったのが九時、人形町は七時に始まっているし、みっちりやりそうなので彼らが来るのを一人待つのは間がもちそうもないし揃うのが遅くなりすぎる。
というわけで俺が人形町に移動、「京和」でちびちびやってお待ち申し上げた次第。
久しぶりに五人集まって閉店時間を越えて呑み語り、愉快な一夜を過ごせたのは正解だった。
い会になりました。
いい酒は嬉しいです。
志ん輔のブログでは「素っ裸になった」と表現していますね。
一つのチャレンジだったのかもしれません。
実際に聴いていないので、近いうちに彼の高座を聴きたいものです。
呑んで笑ってしめくくりがいいのでしょう。
出来不出来が大きい志ん輔は裸にならずじたばたしていたのかもしれない。
これが裸ならそれはそれで結構毛だらけ、化けるのを待ちましょう。
志ん生のように遊んでいない家族思いの噺家がどう化けるか?
残りの人生、お友達と過ごすのは幸せで贅沢ですね。
あとは趣味でつながった気の置けない付き合いが楽しみです。