もつももたないも強迫観念の裏表 ものに執着するから捨てたくなる 中崎タツヤ「もたない男」
2014年 04月 17日
とつぜん「これ読んでみて」とバッグから取り出す。
昔もそういう人がいて、歴史モノ6巻とかを貸すのだった、こちらの意向に関係なく。
感想を言わなくちゃいけないと思うから一生懸命、読みたいミステリを横目に見ながら読んだ。
この本を貸してくれた人は俺と感性があうのだろうか、「安井かずみがいた時代」とか「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」など歩留りは100パーセント、図書館では予約の列が長そうだし買うのはケチ心が傷つくような本ばかり、まことにありがたいのだ。
もてない男なんて、珍しくもないものな。
貧乏で持ちたくても持てないのではない、持たない・捨てるという確たる意思を持ってそれを生きる核心にしている漫画家。
読んでみると新し物好きで凝り性でいろんなものを買うのだ。
茶碗が必要だと思うと調べまくって地方の陶器市まで行って買ってしまう。
オートバイは一時期、50cc、125cc、250cc、400ccと4台持っていた。
いずれも今は捨ててしまってもってない。
自分の描いた原稿も捨ててしまう。
本は読んだら捨てるし読むそばから読み終わったページを破って捨てたこともある(そのたびに面倒な製本をするのだ)。
ボールペンも無駄に長いのが嫌でインクが減ると短く作り直す。
ソファを捨てる時はかみさんを数か月がかりで説得した。
なんでも煩わしくなって捨ててしまう私ですが、かみさんと暮らしていて別れたいと思ったことはありません。結婚して、責任みたいなものを感じるようになって、やる気みたいなものが湧いてきて漫画家になれたというのだ。
それに私は、もし結婚していなかったら、漫画家になれなかったんじゃないかと思うんです。
携帯はかかってきても出ない。着信履歴をみて必要だったらかける。自分がさみしくなったときだけかける。
憧れの人はマザー・テレサ、それは思想信条ゆえではなく、彼女が極限まで物を持たない生活スタイルだったから。
いまもっている洋服は、夏のポロシャツ三枚と冬用トレーナー二枚、それに冬の厚めのジャンパーと春秋向けのジャンパーが一枚ずつ(マザー・テレサはサリ―二枚だ)。
ストレス発散法、だって買い物も好きなんだから。
無駄が嫌いなんです。スッキリしたいだけなんだと思うんです。といいながら、その根っこを考えていくと自分でもわけがわからなくなる。
使い切らなくても、全然ものを捨てられます。
私の判断基準はいるかいらないかだけです。
床屋に行くのが嫌で(一時間も座って、話もしなきゃならないから)、バリカンを買ったけれど、安くて短い時間の床屋が出来たので捨てた、そしてまた買って、今のは三台目。
生活をリセットしたくてかみさんと四国遍路に出て替えのパンツ一枚にまで捨てることを学んだ。
このとき毎日40キロ歩いたというのを読んで「長崎の赤飯」に出てくる長崎から江戸に出てきた嫁さんのことを思いだしたぜ。
思い切って捨てるのならば、まずは収納スペースから排除すべきです。といいながら彼の楽しみはだらっとテレビを見ていること、競輪、月に二三回のおいしいものを食べに行くこと、くらいか。
退屈をしのぐには贅沢が必要です。その贅沢が切り捨てられればいいんですけれど楽しみのない人生はちょっと、そう簡単にはいきません。
かみさんには冗談をいうことが多いのですが、冗談に失敗してかみさんを不機嫌にしてしまい、私もイヤな気持ちになって不安になる可能性があります。
かみさんを喜ばせたいから冗談を言うのに、根っこに恐怖と不安がある。漫画でも同じことをしているんです。
捨てる、捨てないは、不安と自由に関わる問題です。
ものを捨てれば、ものに縛られず、制約が少なくなって自由になりますが、どこか不安になるところがある。
一方、もっていれば安心はするけれど、ものに縛られる。
捨てるも捨てないも、もつももたないも、どちらも強迫観念ですから表裏の関係で同じことです。
ゴミ屋敷の住人はお年寄りが多いようですが、将来に対する不安があると思います。
ものを過剰に集める人たちは、私と裏表の不安や恐怖によってためていくのだと思います。
ものに執着するあまり、捨てることができない人と、捨てずにはいられない人。
他人からみてゴミでも、当人にとってはゴミではないのです。
逢ってみたいとは思わないが、というより俺みたいなトチュウハンパ(っていうやつがいたなあ)な男には逢いたくもないだろう。
ともあれ、面白い本をいつもありがとう、もつべきものは友だね。
飛鳥新社
この人を理解するのは読んでみないとわからないような気がしますが、一緒に住んでいる奥さんに興味がわきました。
素敵なカップルでした
ジュリーやユーミンの歌にzuzuさんの詩が
お洒落な大人の恋愛スタイルに単細胞な小娘は
憧れを抱きました*図書館で読み返そう!
inokoriさん☆merci!
アバウトで、なのに一寸神経質、中途半端、臆病でへんな私。
何も持たないは当てはまらず・買い込むも当てはまらず、その狭間で知的適応性のコントロールが出来ず、本能のおもむくまま。
断捨離という言葉はヨガに通う友人からの言葉でしたから私も通えば多少変わるかもです。
本能の赴くまま、最高です。
あるのになあ。
掃除はどっちがやるのですか?
要るか要らないか・・確かに!
それさえ曖昧模糊、ただ勿体無くて捨てられないのが私です^^;
「バイ貝」を思い出しました。
物を買っては鬱がたまる・・・、
この方のように徹底してるとあのようなことは起こらないですね・笑
独特の始末観があります。
私はもったいないと無駄遣いとの間をうろうろして、結局ずいぶん無駄なもったないことをしてます。
要するに生きていくこと自体が無駄なことなのかもしれないとさえ思うのですよ。
数えたこともありません。
でもぜんぜん無駄だとか足りてるとかそういうふうには思いません。
いやむしろもっと欲しいです。
(お金を)持ったこともない男
もてたこともない男
【まの行】(⇒いくつ該当することやら?)
まっとうな男
まっすぐな男
まがった男
ま正直な男
まぬけな男
まったく何も持っていない男
まかり間違った男
まさかの男
魔の男
間男
みちがえるほどの男
見たこともないような男
みっともない男
みすぼらしい男
見たくもない男
みかえしたい男
むっとする男
むずかしい男
むずがる男
むずがゆい男
昔の男
めぼしい男
めったにない男
目立たない男
眼鏡に叶った男
面倒みたい男
めめしい男
もったいない男
もっともらしい男
最も愛する男
もう少しお付き合いしたい男
もう遭いたくもない男
もうすでに完全に終わった男
openのブロともさんが最近「小さな暮らし」石黒智子著・・・という本を紹介していましたました。それと重なる部分があるかも・・・徹底して余計なものを持たない生活を実践している方の本なんですけど、それが美学になっているというか・・・おしゃれな生き方というか・・・
一時期、物を持っていることがステイタスの時代から、今は排除する、あるいは持たないというのがス・テ・キという世の中の流れになっているようですね♪
なにか集中できる人がうらやましいですよ。
負けない男、見れば見るほどいい男、武者絵にしたいような男、めげない男、諸人こぞりて褒めまくる男。
やっぱり、いいイメージの方がいいですね。